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碾玉観音(一)


 

 興年間(1131〜1162)、臨安(注:現在の杭州)に関西(注:函谷関以西の地のこと)延州延安の人がいた。その正体はただ者ではない。大物も大物、泣く子も黙る三鎮節度使の咸安(かんあん)郡王である。その郡王が春の一日、一族郎党を連れて野遊びに出かけた。日暮れになって帰る途中、銭塘(せんとう)門の車橋を通りかかった。
 まず、ご一門の乗った轎が通りすぎ、その後から郡王の轎がやって来た。橋のたもとの一軒の店の中から、
「嬢や、出ておいで。郡王様のお通りだよ」
 と呼ばわる声が聞こえた。その時、郡王は轎の窓から様子を見ていたのだが、侍従を呼び寄せると、
「余は以前よりあのような者を探しておった。その方に命ず、明日あの者を王府へ連れて参れ」
 と命じた。従者は命令を承ると、郡王が目を留めた者に話をつけに行った。
 さて、郡王が目を留めたのはそも一体いかなる人物であろうか?
 命を受けた従者は車橋のたもとにある一軒の店へと向った。看板には「玖(きゅう)家表具店」とある。店の中には一人の老人と娘がいた。その娘の様子はと言えば、微風にそよぐ柳のごとき体つきに、美玉のように艶やかな顔立ち。貧しげな店には似合わぬ美貌の持ち主である。
 侍従は直接その表具屋には入らず、向いの茶店に入った。席に着くと、ばあやが茶を運んできた。侍従はばあやに尋ねた。
「お婆さん、向いの表具屋の玖親方とちょっと話をしたいんだけど呼んで来てもらえるかね?」
 しばらくすると玖親方がやって来た。侍従は立ち上がって親方を迎えた。親方が侍従に尋ねた。
「郡王府のお方がどのような御用件でしょうか?」
 はなはだ不安そうな表情である。侍従は笑って、
「大したことじゃないんです。ちょっとお聞きしたいことがあってね。先ほど、うちの殿様のお轎を見に出て来られたのはご令嬢ですか?」
 と言った。親方は、
「令嬢ってほどのものじゃありません、娘ですよ」
 と答える。侍従は続けて、
「娘さんは今年おいくつになられます?」
「十八です」
 侍従は質問を続けた。
「なら、そろそろお嫁にでも行かれるので?それとも奉公にでも出されるのですか?」
 親方はその質問に溜め息を付いて、
「嫁にやろうにもうちは素寒貧(すかんぴん)で…。やはり、先でどこかのお屋敷に奉公に出すつもりです」
 と答えた。侍従は、
「お嬢さんは何がおできになります?」
 と尋ねた。しかし、この質問は答えが分かってのこと。なぜなら郡王が娘に目を留めたのは、その身に付けた刺繍入りの胸当ての出来栄えがあまりにも見事だったからである。親方は、
「刺繍の腕は親の私が言うのもなんですが、かなりのものです。近所の娘達の中では一番の腕前です」
 と答えるので、侍従は、
「実は先程、殿様もお轎の中からお嬢さんの胸当てに目を留められましてね。以前から、殿様は刺繍のできる侍女を捜しておいでなんですよ。ものは相談だが親方、お嬢さんを郡王府へ奉公に出す気はありませんか?郡王府に奉公すればつらい仕事もないし、行儀作法も身に付くし。まあ、考えておいて下さい。悪い話じゃないはずです」
 と言って王府へ戻って行った。
 親方は店に戻ると、女房に相談した。郡王府への奉公は願ってもない話である。そこで契約書を一筆したためると、娘を連れて王府へ赴いた。郡王は大いに喜び、父親に十分な支度金を手渡して娘を引き取った。刺繍が得意ということで秀秀という名前を与え、奥向きの侍女に取り立てた。

 

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