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涙の井戸


 

 明市の南郊に路南県板橋郷というところがある。昔、この地域は日照りに苦しんだ。人々は水を汲むために重い桶を担いで、高い山を越えなければならなかった。その道のりは長く、せっかく汲んだ水も途中でこぼれてしまい、戻ってみれば半分に減っていた。

 この地の若い嫁、彩娥(さいが)も日照りに苦しむ一人であった。彼女は容貌だけでなく、その心根も美しかった。心優しい彩娥は水に苦しむ人々を助けるためにも自分で水脈を探そうと決心した。
 ある晩、彩娥の夢に一人の老人が現れた。長い白い髭を胸元に垂らした何とも奇妙な老人である。老人は彩娥にこんなことを言った。
「お前が本当に皆のものを助けたいのなら、明日、村の中心を掘ってみるがいい。そこに水があろうさ。しかしだな、水はただではやれぬぞ。ふさわしい代価を払ってもらう。それが嫌なら、どんなに掘ったとて無駄なことだ。水が欲しければやってもよいぞ。ただ、お前が二度とこの家に戻らないというのが条件だ」
 目覚めた彩娥はこのことを夫に告げたが、老人の出した条件については言わなかった。夫はこのことを聞くとたいそう喜び、夜明けを待って妻とともに村の中央を掘ることにした。
 二、三丈(注:一丈は約3.3メートル)も掘ると、チョロチョロと清水が流れ出てきた。これに勇気付けられた夫婦は更に掘り進んだ。しかし流れ出す水量は少しも増えず、村を潤すにはとても足りない。歓声はすぐにため息に変じた。
 その夜、老人は再び彩娥の夢枕に立った。老人は怒りもあらわに彩娥をなじった。
「水はただではやれぬと言ったはずだ。まことに水が欲しいのなら、明日は井戸の中でワシを待つのじゃ。二度と家に戻ってはならぬぞ」
 彩娥は朝早く起き出して食事の仕度と掃除を済ませると夫を起こした。
「ちょっと井戸まで水を汲みに行ってきます」
 これはウソであった。後ろ髪をひかれる思いで彼女は家を後にした。彼女は目にいっぱい涙を浮かべて二度と戻ることのできない我が家を何度も振り返った。
 一方、家に残った夫は彩娥の帰りを待っていたのだが、彩娥はいつまで経っても戻ってこなかった。心配になった夫は例の井戸まで行ってみることにした。そこには一組の天秤棒と桶が残されていた。それは彩娥が持って出たものであった。彼は井戸の底をのぞいて驚いた。昨日までチョロチョロと申し訳程度にしか湧き出ていなかった水が、今では底も見えないくらい満々とたたえられているではないか。
 夫は妻の姿を求めて村中をたずね回ったが、誰一人、彩娥の姿を見た者はいなかった。村中総出で探したのだが、その行方はわからなかった。
 彩娥を失った夫は泣いた。男泣きに泣いて真夜中まで泣き続けたのだが、やがて泣き疲れてウトウトしてしまった。突然、目の前に白髭の老人が現れた。老人は喜悦に満ちた表情で言った。
「お前の可愛い女房は村の衆に水を飲ませるために、お前さんと縁を切ったのじゃ。信じられぬのなら、明日、井戸の底に向って女房の名前を三度呼んでみろ。さすれば自ら現れて説明してくれるさ」
 ハッと目覚めてみれば、それは夢であった。朝を待って井戸に駆けつけると、底に向って叫んだ。

彩娥、彩娥、彩娥!

 井戸の底で何かはねるような水音がしたかと思うと、人の姿が浮かび上がってきた。彩娥であった。彩娥はそのつぶらな目にあふれんばかりの涙を浮かべていた。
「もうお会いすることはできませんわ。夕べ私の夢に現れた白い髭の老人は、この地の龍王だったのです。龍王は私を手に入れるためにここを日照りにしました。そして、夢に託して水が欲しければ妻になれと迫ったのです。あなたに何も言わずに姿を消した私をお許しください。すべては村のためなのです。ああ、もう行きますわ。来世でお会いしましょう。来世でこそ、添い遂げとうございます」
 そう言って井戸の底へ姿を消した。
 夫は井戸の縁で泣きながら彩娥の名を呼んだ。呼びかける声は天地に響き渡り、その足元には涙で水溜りができた。しかし、どんなに泣いても、どんなに呼んでも彩娥は二度と戻ってこなかった。このことはすぐに村中に知れ渡った。村人はこの若夫婦を引き裂いた龍王を恨み、罵った。
 井戸の水は涸れることなく、村に十分な水量を供給し続けた。おかげで村人はもう重い水桶を担いで山を越える必要はなくなった。龍王は約束を守ったのである。

 村人は水を汲むたびに、井戸の底に涙を流す娘の姿が見えるような気がした。人々は彩娥が夫を想い、村を懐かしがって泣くのだと言い合った。彼女が夫や村を想ってあまりにもたくさんの涙を流したため、井戸の水は涸れないのであろう。そう思った村人はこの井戸を“涙の井戸”と呼んだ。

(『昆明山川風物伝説』より)