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 里の長城で最も有名な八達嶺の北麓に玉皇廟村というところがある。この付近は春秋戦国時代の山戎(さんじゅう)の古墓群が発掘されたことで有名である。山戎とは古の異民族である。かつてこの地域に山戎の部落があった。

 バルモンは山戎中の一部族の族長であった。彼は非常に有能な指導者で、強靭(きょうじん)な体格と卓越した技量に恵まれていた。弓を取ったら百発百中、槍を片手に戦えばそのあまりの速さに操る人の姿が見えず、宙を舞う槍しか見えなかった。また、彼は非常に厳格かつ公正無比な人間で、部族の掟の厳格な番人でもあった。もしも掟に背く者があれば、それが誰であろうと容赦なく処罰した。それゆえに人々は彼に尊敬の念とともにいささかの畏怖も抱いていた。しかし、それは彼に対する信頼でもあった。
 山戎は南で漢族と接していたため、小競り合いが絶えなかった。バルモンもしばしば部族を率いて漢族との戦いに出向いた。バルモンの父も漢族と戦ったし、祖父も戦った。山戎にとって漢族は土地を奪い取りに来る悪魔にも等しい存在であった。バルモンは部族を守るため鬼神のように戦った。彼が戦場を駆け抜けた後には敵の死体が累々と積み重ねられた。
 畏れ崇められたバルモンにも宝とも慈しむ娘がいた。名をバヤンキパといい、野に咲く花のように美しく優しかった。彼女はバルモンの誇りであり、部族の誉れであった。そのバヤンキパがバルモンの出征中に漢族の青年と恋に落ちた。青年はバヤンキパのために百日もの日数をかけて石を磨き、一本の首飾りを作った。それを彼女の細い項にかけてやったのであった。
 バルモンの出征は一年に及んだ。大勝利を収めたバルモンが部落に凱旋したその日、バヤンキパは赤子を産み落とした。漢族の青年との間の子供であった。子供の父親が山戎の男なら問題はなかった。未婚の娘が子供を産むこともしばしばあったからである。しかし、相手が漢族の場合、それは許されないことであった。漢族と通じることは最大の罪であった。この事実を知ったバルモンは五臓六腑が張り裂けるような心持ちであった。あろうことかバヤンキパはバルモンの名誉だけでなく、山戎族全体の名誉を貶めたのである。バルモンは剣を引っさげ、目を怒らせて娘の部屋へ押しかけた。
 バヤンキパは父の様子を見た途端、自分を待ち受けている運命を知った。彼女は驚き慌てず父の前に跪いた。
「お父様、私は部族の掟にそむきました。殺されてもかまいません。お父様が掟を守らなければならないお立場にあるのですから。若くして死なねばならぬ娘を哀れと思し召し下さるなら、私と赤ん坊の魂がいつでも戻ってこられるように遺体を傷つけないで下さいませ。そうして下されば私は死んでもお父様のご恩を忘れないでしょう」
 そう言って頭を垂れて涙を落とした。
 バルモンは泣きながら剣を振り上げた。掟は掟である。掟を破った者は誰であろうと、たとえ死んでも許されない。遺体は両足を切断されて埋葬されねばならないのである。しかし、さすがの彼にも従容(しょうよう)と差し出された娘の首に剣を振り下ろすことはできなかった。バルモンは足元の床に剣を突き刺した。そして遺体の処遇には触れないまま、娘に一筋の縄を突きつけた。
「これで自分で始末をつけるのだ。その忌まわしい漢族の胤(たね)もだ」
 そして後ろも見ずに部屋を出て行った。外は雷雨になっていた。バルモンは涙に濡れた顔を、激しく叩きつける雨にさらした。闇夜に走る稲光の中、跪いて懇願する人影がある。妻であった。妻はバルモンの膝に取りすがって泣いた。
「旦那さま、お願いでございます。私の娘を、バヤンキパをお許し下さい」
 バルモンは無言で妻を見下ろしままであった。妻はバルモンの膝を揺すぶった。
「お助け下さい、お願いです」
 バルモンは答えなかった。
 永劫の時が流れたかと思われた。バヤンキパの部屋の扉は固く閉じられたまま物音一つしない。ようやくバルモンが口を開いた。
「立つのだ。すべて終わった」
 バルモンはそう言って妻の手をほどいて立ち去った。彼の背後で扉の開く音が響いた。続いて妻の悲痛なうめき声が聞こえた。
 敵の子供を産んだ上に自殺したバヤンキパの死は不浄なものであった。そのため彼女とその子供は裸のまま埋葬されることになった。その遺体からは魂が二度と戻ってこられないよう両の足が切り落とされたていた。
 埋葬にあたって、バルモンの妻は夫に隠れて例の首飾りを娘の首にかけてやった。

(『長城脚下的伝説』より)