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二郎神君の靴(五)


 

 になりめっきり涼しくなったある日、帝は後宮に新しい秋用の着物を配ることにした。帝は韓夫人のことも忘れておらず、楊太尉の邸にわざわざ侍従を遣わして薄絹の着物一襲(かさね)と玉帯を届けさせた。韓夫人は正装し、香を焚いて侍従を迎えると、帝からの賜り物を恭しく受け取った。それから侍従一行をもてなすのであるが、その席上で侍従が言った。
「お体もすっかりよくなられたようで、ようございました。近頃、お上は殊の外、夫人のことをお懐かしみになっておられます。こうして着物を下賜なさったのも、ご病状をお気になさってのこと。よくなり次第、速やかに宮中にお戻り下され」
 すると韓夫人は眉を顰め、胸を押さえてこう答えた。
「戻りたいのは山々なれど、私の病は五分ほど癒えただけです。使者様の口から陛下に言上していただけないでしょうか。宮中に戻るのはもう少しご猶予を賜りたい、と。そうしていただければ、一生、このご恩は忘れません」
「おや、まだ具合がお悪いのですか?それなら急がれることもありません。戻りましたら、お上にはご病気はまだ平癒していないと言上申し上げておきましょう。今はごゆるりと病を癒されるのが一番です」
 侍従は十分なもてなしを受けた後、宮中へ戻って行った。
 夜更けに二郎神君が姿を現したのだが、会うなりこんなことを言った。
「やあ、おめでとう。まだお上のご寵愛は失せてなかったようだな。お上からの賜り物だという着物と玉帯を拝見させていただきたいものだ」
「まあ、神君様にはどうしてご存知なのでしょう?」
 これには韓夫人も少々驚いた。二郎神君は笑って言った。
「私には全てお見通しさ。伊達に神君なんて呼ばれてないよ」
 これには韓夫人も納得して二郎神君に帝からの下賜品を見せた。二郎神君は韓夫人を膝に坐らせて、下賜品にちらりと目を走らせた。それから、玉帯を手に取った。
「およそこの世の宝物を、独り占めにしようったってできぬことさ。ちょうどよかった。玉帯が欲しかったところだ。これを私に供物として捧げてくれたら、それこそ功徳を積むというものだ」
 韓夫人は二郎神君にしなだれかかりながら言った。
「この私の物は全て神君様の物ですわ。何で否やを申せましょう」
 二郎神君はいつも通り、残りの夜を韓夫人のもとで過ごし、明け方近く、玉帯を手にして窓から出て行った。

 二郎神君が訪れるようになってから、韓夫人はすっかり別人のようになった。前は花を見ては涙し、月を仰いではため息をつく、という具合に常にこの世の終わりのような顔をしていたのが、今ではいつも笑みをたたえて楽しそうである。しかし、いまだに口先では、
「何の因果でこのような身に成り果てたのでしょう」
 などと言って、ため息をついて見せることは忘れなかった。その割に髪はしっとりと艶やかになり、肌は潤いをたたえてまるで吸いついてきそう。ただ、不思議なことに目の縁にいつも隈(くま)を作っていた。しかし、それも婀娜(あだ)な魅力の一つとなった。
 その韓夫人の突然の変化に疑いの目を向ける人物が現れた。他ならぬ楊太尉であった。
 ある日のこと、楊太尉は思い切って夫人にたずねた。
「なあ、お前、韓夫人のことなのだが…、もしかして何か不手際があったのではなかろうか?」
 楊太尉は腕を組むと両の眉を寄せて続けた。
「夫人の部屋からは夜通し灯が漏れていて、おまけに人の話し声まで聞こえるという。それに御殿医の話では気鬱の方はもうすっかりよいそうだ。しかし、体力の消耗が激しすぎるとのこと。まさか夜っぴて鞦韆(ぶらんこ)で遊んでいるのでもあるまい、などと言われたぞ」
「ええ、私もおかしいなとは思ってたんですよ」
 太尉夫人も思い当たるふしがあるようであった。
「でも、これだけ厳重に警備されているのだからそんなことはありえない、と自分に言い聞かせてきたのですが…。こうして言われてみるとおかしいことだらけですわ。早速、心利いた者を二人ほど選んで、夫人の部屋の梁に潜ませて、今宵、何が起こるか見張らせましょう」
「左様、くれぐれも韓夫人には内密にな」
 楊太尉は念を押した。

 

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