二郎神君の靴(十三)


 

「どれ、ちょいと見せてもらいましょうか」
 冉貴は逸る心を抑えて努めてさりげなく振る舞った。手に取って見ると、黒く染めた皮を糸で四重に縫い合わせて藍色の布で裏打ちしてある上等な品である。これこそまさしく賊の残した靴と同じものであった。
「片方だけじゃどうしようもありませんな。あまりいい値は付けられませんよ」
「まあ、安くてもいいんだよ。チビ達におやつを買ってやれるくらいならね」
 そこで、冉貴は胴巻きから銭を一貫五百文、取り出して女に渡した。
「悪いがこれだけですなあ。これ以上は無理というもんだ」
 女はこの値段に不満なようで食い下がった。
「もうちょっと色を付けておくれよ。物は悪くないはずだよ」
「無理だ、無理だ」
 そのまま冉貴が荷を担いで行こうとすると、子供が泣き出した。女はなおも言った。
「ああ、チビが泣き出しちまった。ね、ちょびっとでいいんだからさ」
「しょうがねえなあ」
 冉貴は二十文の銭を女に押しつけると、靴をひっつかんでその場を離れた。
「どうだったか?」
 冉貴の帰りを待ちかねていた王観察の問いかけに、
「はかばかしくありませんなあ…」
 と、冉貴は口をにごした。下手にお偉方の耳に入れて、不首尾に終わることを心配してのことであった。
「ま、明日も神廟の周辺を洗ってみまさあ」
 冉貴は明日、あの女のことを調べてみるつもりだった。

 翌日も、冉貴はくず屋に扮して二郎神君廟へと出かけた。例の女の家に行ってみたが、あいにく留守だった。どうしようか、とそのままたたずんで考え込んでいると、隣家の門前で腰掛けに坐って縄をなっている老人の姿に気が付いた。そこで、声を掛けてみることにした。
「おじさん、ここのおかみさんがどこへ行きなすったかご存知じゃありませんかね?」
 老人は縄をなう手を止めて、顔を上げた。
「何だね?」
「あっしはくず屋なんです。昨日、ここのおかみさんから古い靴を片方、買ったんですが、それがとんだボロで大損させられたんでさ。それで、金を返してもらおうと思って、お訪ねしたんですがね」
「あのあばずれとかかわり合いを持たん方がええですぞ。ありゃあ一筋縄じゃいかん女だわい」
「へえ、そんなに悪そうな人には見えなかったけどねえ」
「ふん、若いの、お前さんも甘いのう。女はひっついた男次第で、いくらでも変わるものじゃ。何と言っても、あのあばずれは孫神通の情婦(いろ)だからのう、悪さにかけては天下一品よ」
「その孫神通ってのは誰だい?」
「孫神通を知らないだって?ありゃあ、そこの神廟の道士で、妖術に長けた名うてのワルさ。博打(ばくち)は打つわ、女は買うわ、とんでもない奴じゃよ。しかし、二郎神君ばりの滅法いい男で、中にはあの男目当てに参拝に来る娘もおるくらいじゃ。一体、どれだけの娘がたらし込まれて泣きをみたことやら」
 老人から思わぬ話を聞かされて冉貴は胸を躍らせた。

 

戻る                                進む