二郎神君の靴(十五)


 

 日、王観察と冉貴(ぜんき)以下の目明かし達は軽装の上に錦の長衣を着込むと、二郎神君廟へ繰り出した。滕大尹が大規模なお礼参りをするという触れ込みであった。
 一行が廟に到着すると、廟官が出迎え、神殿へ導いた。居並んだ道士達が祝詞(のりと)を上げる中、王観察は進み出て祭壇の前に額ずいた。王観察の後ろで冉貴は道士達の顔に素早く目を走らせていたが、やがて一人の道士の姿に目を止めた。水際立った男振りで、これなら二郎神君に化けてもおかしくない。王観察が振り向いたので、冉貴はうなずいて見せ、酒器一式を捧げて進み出た。供物台に置くと、やおら盃を掴んで、
「孫神通、神妙にしろ!」
 と言いざま、くだんの道士に向けて投げつけた。それを合図に目明かし達は上着を脱ぎ捨てて飛びかかった。さすがの孫神通もこれには慌てたようで、着ていた長袍をむしり取ると、目明かし達に投げ付けた。そして、床を蹴って目明かし達の頭上を飛び越えて中庭へ転がり出た。そのまま塀にとり付いて逃げようとしたその時である。頭上から凄まじい異臭が漂ったかと思うと、何やら得体の知れぬ液体が降ってきた。
「ワアアッ!」
 それは豚の血に犬の血、ニンニク、糞尿(ふんにょう)であった。滕大尹(とうたいいん)の命令で用意しておいた妖術封じの特効薬である。王観察は前もって目明かしの一隊をこの代物を満たした桶とともに塀の上に配置しておいた。糞尿まみれになっては孫神通ご自慢の妖術も台無しである。加えて、目明かし達が棒を雨あられと降らせたからたまらない。さしもの孫神通も年貢の納め時というわけである。同時に情婦の家宅捜索も行われ、帝が韓夫人に下賜した玉帯が発見された。
 事が事だけに取り調べは滕大尹自らが執り行った。孫神通も始めは知らぬ存ぜぬとしらを切り通したが、厳しい拷問に耐えられず、次第次第に自白するようになった。
「それがしは俗世にありました折に妖術を修行したことがございます。後に道士となり、金を使って二郎神君廟に籍を置くようになりました。たまたま、韓夫人が二郎神君のような殿御と添い遂げたいのを耳にして、邪な考えをめぐらし、このような大それたことをしでかしてしまいました」
 滕大尹は早速、楊太尉に報告した。楊太尉は蔡太師と相談してありのままを帝に上奏した。帝から下された詔勅により、孫神通は極刑、情婦とその子供達は奴隷に落とされることとなった。では、事件の発端を作った韓夫人はどうなったのであろうか。
 韓夫人は二郎神君の正体がニセ者だとわかってからも、しばらくは恋い慕っていた。しかし、いざニセ神君が逮捕されると、今度は自分にもお咎めが及ぶのではないかと不安になり、神君恋しの気持ちなど吹っ飛んでしまった。そこへ帝の詔勅が下ったのである。
 帝は楊太尉に韓夫人を民間に嫁がせるよう命じた。併せて韓夫人には宮中への立ち入りを禁じた。それだけであった。
 楊太尉の選んだ相手は開封に支店を持つ、遠来の商人であった。商人は韓夫人を開封に住まわせ、自分は各地を往来した。この商人は帝ほど裕福でもなければ、二郎神君のような器量にも恵まれていなかったが、妻を大切にしたため、韓夫人はそれなりの幸福を手に入れることができた。
 さすがは霊験あらたかな清源妙道二郎神君、ちゃんと韓夫人の願いを叶えてくれたのである。

 韓夫人の縁談が決まった頃、孫神通の刑が執行された。極刑中の極刑、凌遅の刑である。首切り役人が慣れた手つきで孫神通の体を細切れにしていった。見物に集まった民衆は、孫神通の体の一部が切り取られるたびに歓声を上げた。皆、悪の栄えたためしはないことを改めて思い知らされたのであった。

(明『醒世恒言』)

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