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非情


 

 元年間(785〜805)に、崔慎思という男が進士試験を受けるため、博陵(注:現在の河北省)から上京してきた。長安には頼るべき親戚も知人もないので、空き家を探して借りることにした。しかし、進士試験の時期には慎思のような受験生が多く、空き家はなかなか見つからなかった。ようやく見つかったのは、ある家の離れであった。大家は三十歳あまりの美人で、二人の婢女(はしため)にかしずかれていた。
 間借り人として滞在することになった慎思に対して、女主人は何くれとなく世話をしてくれた。慎思はその細やかな心遣いに深く感謝の念を抱いた。女に対する感謝の念が好意に変わるまで、大して時間はかからなかった。慎思は思い切って女に求婚した。女の答えはこうであった。
「あなたのお気持ち、ありがたく存じます。でも、私は士人のあなたとは身分が違いますわ。私を妻になさったら、きっと後悔なさるでしょう。お妾さんとしてお仕えするだけで十分です」
 こうして女は慎思に妾として仕えることとなった。慎思は離れから母屋に移り、女の生活費一切の面倒を見た。不思議なことに同棲するようになってからも、女は自分の姓名を決して名乗らなかった。また、女はほとんど感情を表わさなかった。それから二年余り経って、慎思と女の間に男の子が生まれた。二人の関係は円満であったと言って良かった。
 子供が産まれてから数ヶ月経った時のことである。夜中に慎思がふと目を覚ますと、隣で寝ているはずの女の姿がなかった。始めは用でも足しに行っているのかと思ったが、戻ってくる気配がない。寝る前に戸締まりをきちんとしてあるので、かどわかされるはずはなかった。女が自分の意志で外に出たことになる。慎思は女が不貞を働いているのではないかと疑った。怒りのあまり眠れなくなった慎思は、中庭に出て女の戻ってくるのを待った。
 空には月が朧にかかっていた。その月明の中、塀の上に白い人影が現れた。ぴったりした白い着物を纏い、右手に匕首を、左手には何やら黒くて丸い物をぶら下げていた。泥棒と思った慎思は慌てて物陰に姿を隠した。くだんの人影はひらりと中庭に飛び降りると、こちらを振り向いた。月明りに照らし出されのは、何と女の顔であった。慎思は思わず、隠れていた所から飛び出していた。
 女は動じる気配を見せなかった。
「私は以前、群守に父を無実の罪で殺されました。仇を追い求めて都に上り、ずっと機会を狙っておりました。しかし、相手は隙を見せない上に、私はあなたの子供を身ごもってしまい、本懐を遂げられぬまま今日までやって参りました。ようやく本懐を遂げましたからには、もうこの世には未練はございません。これでお別れいたします」
 女が左手に下げていたのは血の滴る人の生首だった。女は仇の首を革袋に納めると、腰に吊るした。
「私はあなたの妾になること二年、子まで成しました。この家と二人の婢女はそっくりあなたに差し上げます。どうぞ、坊やの面倒をしっかり見てやって下さいませ」
 そして、女は塀を飛び越えて姿を消した。慎思は驚きの余り何も言えずに立ちすくんでいた。その前に女が再び姿を現した。
「戻って来てくれたのか」
 喜んで取り縋る慎思を女は押しのけた。
「坊やにお乳をあげるのを忘れていました」
 そう言って、子供部屋に入って行った。しばらくして女は出てきた。
「終わりました。今度こそお別れです」
 女は身を翻して塀を飛び越えた。そして二度と戻って来なかった。

 女が行ってしまった後、慎思は中庭で悲痛な思いに暮れていた。どの位経った頃であろうか。慎思は子供部屋が妙に静かなことに気が付いた。いつも夜泣きする赤子が今夜に限って静かなのである。様子を見に子供部屋に入った慎思が見たのは、事切れた我が子の姿であった。
 女は己の情を断ち切るために、我が子を手にかけたのであった。

(唐『原化記』)