河の幽鬼


 

 のほとりにはよく幽鬼が出る。しばしば通りかかる人の名を呼ぶのだが、うっかり返事をすると溺れ死んでしまう。幽鬼が河に引きずり込むのだという。

 李戴仁(りたいじん)という人が枝江県(注:現在の湖南省)の入江に船を舫(もや)っていた。月が晧々と照る明るい夜であった。突然、一人の老婆と一人の男が水面から姿を現した。辺りを見回した二人は李戴仁を指差して、
「生きている人がおるぞ」
 と叫ぶなり、水の上を走って逃げ出した。まるで平地を走るようであった。そのまま岸に上がると、どこかへ姿を消してしまった。

 当陽県(注:現在の湖南省)の県令である蘇という人が江陵に住んでいた時のことである。所用で出かけて帰宅が遅くなった。月明かりに照らされた夜道を歩いていると、髪を振り乱した美人に出くわした。着物の裾が濡れて滴が垂れていたので、ふざけて、
「おい、お前さん、河の幽鬼じゃあないのかい?」
 と呼びかけてみた。すると、美人は怒り出して、
「あたしが幽鬼ですって?」
 と飛びかかって来た。蘇はその場から逃げ出しのだが、美人はあとを追いかけてきた。美人は足が速く、もう少しで追いつかれそうになったその時、向こうから夜警がやって来るのが見えた。
「やれやれ助かった」
 蘇が胸を撫で下ろして後ろを振り返ってみると、美人は背を向けて引き返していくところであった。

(宋『北夢瑣言』)