「私はあなたの顔が気に入った。ものは相談だが、私の顔と取り替えてもらえないだろうか」

 その男の申し出はとんでもないものであった。
「人にはそれぞれ持って生まれた顔があるではないか。それを取り替えろだなんて。取り替えられた私はどうなるんだ?」
 と断ると、男はニヤリと笑って帰って行った。

「ああ、夢か…」
 悪夢から目覚めたのはいいが、心配になって顔を撫でた。別段顔には変化はないようである。しかし、まだ心配なので鏡を覗いてみた。柔和で秀麗な顔がこちらを見返していた。それに引き換え先程の夢の男の顔の物凄いこと。あばた面の真ん中には大きな鼻があぐらをかき、眇(すがめ)の反っ歯、仕上げに針のような髭が彩りを添えていた。普通、どんなに醜い顔にもそれなりに美点や愛嬌というものがある。しかし、この男の顔にはそういうものが一切なかった。
「あんな、顔と取り替えられたら堪らないな…」

 悪夢に悩まされている男の名を賈弼之(かひつし)という。幼少より多くの書物に通暁し、その文才を謳われていた。また、万人受けする柔和な容貌に恵まれ、まさに才子の典型で、当時(義熈年間、405〜418年)瑯邪王府の参軍(注:軍事参謀)の職にあった。
 奇妙な夢はその後も続いた。いつも物凄い容貌の男が現れて、顔を取り替えてくれと言うのである。ある時などは昼寝の夢にも現れた。
「あなたが承知しなくても取り替えることはできるのだがね」
 だんだん男の口調は脅迫じみたものになっていった。とうとう観念した弼之は思わず取り替えよう、と答えてしまった。

 その翌朝、弼之は何とも言えない夢見の悪さを感じながら目覚めた。顔を取り替えろ、取り替えろ、と言われ続けたせいか、何だか顔が腫れぼったい感じがする。手で顔を撫でてみると、チクチクする。妙に髭の伸びるのが早くなったものだ、と弼之は独りごちた。そこへ下僕が洗面用の湯を盥(たらい)に汲んで持ってきた。顔を洗えば少しは気分もすっきりするかもしれないと思って起き上がった。その途端、下僕は盥を取り落として悲鳴を上げながら飛び出して行った。
 鏡を覗いた弼之は驚いた。何と鏡の中から、あの夢の男が物凄い顔でこちらを見ているではないか。いや、違う、鏡に映っているのは自分の顔である。
「ああっ!」
 弼之は夢の男が本当に顔を取り替えたことを悟った。
 もう、それからが大変である。急いで家に戻ったのだが、門をくぐった途端、家人は、
「見知らぬ男が来た」
 と大騒ぎ。妻を始めとする女達に至っては卒倒する者もあれば、怖がって隠れる者まで出る始末。
「あのむくつけき男は何者です?」
 と声を揃えて言い合うのである。弼之が、
「私だ、私」
 と言っても誰も信じない。仕方がないので役所から人を呼んで色々と尋問してもらって、初めて信じたのである。

 夢の男と顔を取り替えても、弼之の文才にはいささかの翳りも見えなかった。不思議なことに弼之の中にもう一人別の人格が住み着いたようである。あるいは人格が分裂したと言えるかもしれない。半面で笑い、半面で泣くことが出来るようになったのである。また、両手に筆を持って一度に文章を二つ書くことも出来た。二つの文章は字句、内容ともに見事なものであった。

(六朝『幽明録』)