Make your own free website on Tripod.com

 

付け文騒動(三)


 

 封府の長官、銭大尹(せんたいいん)は皇甫松の提出した告訴状と証拠物件を受け取ると、楊氏ら三人を収監するよう命じた。それから取調官を呼んで告訴状を渡して早速、この不義密通事件を調査させることにした。
 取調官はまず、ワンタン売りの僧児から事情聴取を開始した。僧児の答えは先に皇甫松にしたものと同じであった。
「茶店で男の人から奥様に包みを渡すよう頼まれただけです。今までにあの近くで会ったことなんてない人です。ぶたれようがどうされようが他のことは知りません」
 人相を問うと、眉が濃くて、目が大きくて、上を向いた鼻、大きな口をした見知らぬ男だったとのことであった。
 続いて迎児に証拠物件を見せて皇甫松の留守中の夫人の行動についてたずねた。
「旦那様の留守中、奥方様はどなたともお会いになってやしません。お出かけになったこともありません。一体、誰がこんな手紙を寄越したのかこちらが聞きたいくらいです。あたしの言うことをお疑いながら、ここで打ち殺されても文句はありません」
 と、迎児は半分ふてくされながら答えた。
 いよいよ被告である夫人の番になった。夫人は問われるままに生い立ちから皇甫松と結婚した経緯などを淡々と答えた。最後に夫人は、
「手紙の差出人に一切、心当たりはありません。むしろ、こちらの方が教えていただきたいくらいです」
 そう言ったきり、夫人は俯いて沈黙してしまった。こうした場合、普通なら撫でる程度の拷問は当たり前なのだが、相手は官吏の奥方である。そこいら辺の罪人と同じ扱いはできかねる。そこで取調官は一計を案じた。本件とは全く関係のない罪人の尋問を奥方に見せたのである。
 引き出されて来たのは強盗殺人を働いた上、証拠隠滅のために現場に放火したという凶悪犯であった。連日の厳しい取り調べのため、着物はボロボロ、身体中至る所傷だらけで幽鬼さながらの姿、もうこれを見ただけで夫人の顔色は青ざめた。
「首枷をかけよ!」
 取調官の声が響き、それに応じて獄卒が重い首枷を罪人にかけた。首枷の重みで罪人の首ががっくりと前へ垂れた。取調官が罪人に一言、二言、何かたずねたが、罪人に聞こえなかったのか返答がなかった。取調官が目配せすると、獄卒が手にした棍棒で罪人の背をしたたかに殴りつけた。殴られた罪人はヒィヒィと泣き声を上げた。夫人は思わず、顔を覆った。
「言います、何でも言います!」
「よし、ならばきく。お前は人を殺したな?」
「はい、殺しました」
「お前は放火をしたな?」
「はい、致しました」
「すぐに答えればそれだけ痛い目を見ないですむのに。馬鹿な奴ですな」
 取調官はそう言って夫人の方へ向き直った。繊細な心の持ち主の夫人には罪人の拷問風景は刺激が強すぎだようで、顔を覆ったまま泣きじゃくっていた。
「で、誰なんです、手紙の主は?」
「むしろこちらが知りたいくらいですわ。私は主人と結婚する前に両親を相次いで亡くしました。親戚だって都の近くにはおりません。子供こそおりませんが、主人との関係は決して悪いものではございませんでした。長官様にお伝え下さい、そんなに私を罪人にしたいのなら、そうして下さって結構です」
 取調官が何度、尋問しても夫人の答えは同じであった。

 楊氏達が収監されて三日経った。いよいよ銭大尹自身の審理を仰ぐことになった。審理は午後からだったので、昼休みに取調官は役所の前に立って、この案件について思いをめぐらしていた。結局、三日間を通じて、楊氏ら三人からは何の自供も得られなかった。近所への聞き込みからも、不義密通の確証どころか楊氏の良い評判ばかり聞かされ、何の手掛かりも得られなかった。何とも難儀な案件である。どう裁決が下るのか…。
 ふと顔を上げたその時、皇甫松がこちらへやって来るのが目に入った。午後の審理に呼ばれているのである。皇甫松は会釈をすると早速、審理の見通しをたずねた。
「何の確証もないだなんて、もう、三日も経っているんですよ。優秀で知られる開封府とも思えない怠慢ですな。それとも手紙の主から鼻薬でも嗅がされましたか」
 取調官は皇甫松の厭味に対して聞こえない振りをして言った。
「皇甫殿は、もしもこの案件が解決しなければどうなさるおつもりですかな?」
「フン、離縁するしかないでしょう」
「そうですか…」
 昼休みも終わり、午後の審理が始まった。取調官は供述書に署名をすると、銭大尹に提出して裁決を仰いだ。楊氏、迎児、僧児の三人が引き出され、銭大尹から供述書の内容に相違がないか問いただされた。三人とも相違ない、と答えた。
「さて」
 銭大尹は皇甫松に向き直った。
「窃盗は盗品が、姦通は相手がいて初めて罪として証明される。今回のような差出人不明の一通の書面、まあ、付け文だな、を証拠に不義密通の咎で罰することは現在の法律では不可能なのだ。皇甫殿は何か思い違いをなされてるのではないかね?」
「でも、あの手紙は妻宛ですよ。手紙を寄越してきたってことは、相手がいるってことではありませんか。火のないところには煙は立たないんですぞ」
 話すうちに皇甫松は段々いきり立ってきた。
「ああ、私の面子は丸潰れだ。密通の疑いのある妻なぞ、家に連れ帰るわけにはいかん。よし、決めた、離縁だ、離縁するぞ。大尹閣下、今ここで、私はあの女を離縁します」
皇甫松は夫人に指を突き付けて叫んだ。

 

戻る                                進む