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付け文騒動(五)


 

 年がまた巡ってきた。街は新年を迎えて浮き立ち、華やかに彩られた。特に相国寺の人出は大層なものであった。人々は皆、着飾って初詣をするのである。この初詣客を目当てに相国寺の前には多くの露店が並んだ。
 浮き立つ参詣客の中に新年だというのに暗い顔をした男がいた。皇甫松であった。
 彼は楊氏を離縁してからというもの、何とも侘しい日々を送っていた。別れて初めて妻の美点がわかったのである。楊氏はいつも疲れて帰宅する自分を笑顔で迎えてくれた。何よりも妻がいるだけで家の中が明るく感じられた。皇甫松は今では一時の怒りにかられた己の短慮を後悔していた。去年まで元旦には楊氏の用意してくれた新しい肌着と靴下を身に付けて、仲良く相国寺へ初詣に来たものである。今頃、妻はどこでどうしているんだろう…。
 初詣を済ませた皇甫松が重い足取りで相国寺から出てきた時、女を連れた背の高い男とすれ違った。女は連れの男の方を向いていたので、その顔は見えなかった。男の方は濃い眉に大きな目、上向きの鼻、大きな口、という人相であった。皇甫松はハッとして足を止めた。その時、女がこちらを向いた。
 それは離縁以来、一日として忘れたことのない楊氏であった。楊氏の目に驚きの色が見えた。彼女もかつての夫の姿を認めたのである。
 楊氏は前夫とこんな所で再会するとは思いもしなかった。久方ぶりに見る夫はすっかりうらぶれていた。身につけた晴れ着には皺が寄り、頭巾の角は折れていた。靴下も古びたもので、おそらく肌着も去年のままであろう。寝台の敷布も新しいものに取り替えていないかもしれない。あの迎児では力仕事は得意だが、細々としたことまでには気が回らないだろう。知らず知らずの内に楊氏は前夫の生活へと思いを馳せていた。七年も連れ添った夫である。そう簡単には忘れられなかった。かつて夫婦だった二人は無言で見つめ合っていた。
「おい、行くぞ」
 男が楊氏を促した。皇甫松は佇んだまま二人が相国寺の中に入っていくのを見つめていた。その時、背後で憎々しげな男の声が聞こえた。
「あの野郎、やっと見つけたぞ」
 皇甫松が振り返ると、門前で灯明を売っていた一人の行者が男と楊氏の後を追って駆け出そうとするところであった。皇甫松は思わず声を掛けた。
「お坊様、今おっしゃったのはあの二人のことですか?」
 声を掛けられて行者は足を止めた。
「いかにもそうじゃ。あやつにはめられてな。おかげで、ここまで落ちぶれてしもうたわ」
 行者は吐き捨てるように言った。
「あの、女の方はご存じですか?」
「女?ああ、連れの女か。知らぬわ」
「よかった。あれは実は私の妻だった女なのです」
「ほう、何でまた、奥さんはあやつと一緒にいるのかね?」
 行者は些か興味をひかれた様子できいてきた。そこで皇甫松は妻を離縁するに至った経緯をかいつまんで説明した。
「ふうむ、で、お主はあの男を知っておるのかね?」
「いいえ」
「左様か。では教えて進ぜよう。あやつはな、元は拙僧と同じ坊主だったんじゃ。一つ寺で修行を共にした仲というわけだ。拙僧の師匠である管長があやつを剃髪して坊主にしたんだ。ところが一年ほど前に、あやつは師匠が大事にしておった二百両もする銀器を盗んで逐電しおった。しかも逃げる時に拙僧の荷物の中に盗品の一部を隠していったものだから、疑いはこちらにかかった。痛い目に遭わされたわ。しかし、やってないことをやったとは言えぬ。結局、師匠の方も諦めてな、今では寺を追い出されて物乞いをしながら何とかその日をしのいでいる始末さ。この相国寺に見知りがいる由で、門前で灯明などを売らせてもらっておる。思いもよらず、今日、ばったりあやつと出会ったわけさ。どうしてただで済ませられようかってんだ。お、出てきやがった」
 参拝を済ませた男と楊氏が姿を現した。行者は飛び出して行こうとした。皇甫松はその腕を掴むと、物陰に引っ張り込んだ。
「ここは思案のしどころですよ。まずはあいつの後をつけましょう。どこに住んでいるか確かめるのです。捕えるのはそれからでも遅くはないでしょう」
 行者もなるほどと頷いて、二人は気付かれぬよう男と楊氏を尾行した。

 一方、楊氏は皇甫松の姿を見た途端、すっかり悲しくなってしまった。叔母は洪という男のことを副知事まで勤めたと言っていたが、実際に一緒になってみるとその言動はとうてい役人上がりとは思えない下卑たものであった。宝石商とはいうものの、扱う品の出所も何だか怪しげである。それに引き替え、皇甫松は気こそ短いが、宮廷に仕える官吏としての教養も品位も身に付けていた。楊氏はかなり早くからこの結婚に失望した。叔母の口車に乗せられて再婚したことを後悔した。
 そのような時に皇甫松と再会したのである。先ほど見た皇甫松の姿はどうであろう。自分を離縁してしまったばかりに、洒落者で知られた前夫が身だしなみにも不便を来すようになってしまったのである。楊氏は思わず涙を落とした。洪はそれを見とがめて言った。
「おい、女房殿よ、前のご亭主を見かけたくらいで何で泣くんだ?お前を手に入れるために苦労した俺の身にもなってくれよ。実際、骨が折れたんだぞ。たまたま前のご亭主の家の前を通った時に、窓辺に立っていたお前を見かけた時、俺の魂は飛んでっちまうかと思ったぞ。近所で聞いてみると、お前は立派なお役人の奥方ときたもんだ。俺なんかにゃ手の届かない高嶺の花じゃあないか。しかしな、俺は諦めんかった。こうして一緒になるまでの苦労は並大抵のものじゃなかったんだからな」
 男の話を聞いている内に、楊氏の心にずっとわだかまっていたものが目を覚ました。それを口にしようとした時、家に着いた。家の中に入ると、洪は長椅子に腰を下ろした。楊氏はその前に立ち、さりげなく口を開いた。
「そもそも私が離縁される原因になった付け文は誰が寄越したものなのかしら?」
 洪は大きな口をますます大きくして笑うと、
「今なら言ってもいいな。実はな、この俺さ。俺があのワンタン売りの小僧に届けさせたのさ。お前の間抜けなご亭主はまんまと罠にかかってくれたわ」
 と、さも愉快そうに言い放ったのである。男の言葉に楊氏は脳天を殴られたような衝撃を受けた。全ては仕組まれたことだったのだ。目の前でニヤニヤ笑いを浮かべているこの下卑た男のせいで、自分は全てを失ったのだ…。楊氏は指先にグッと力を込めた。

「この人でなし!」

 そう一声叫ぶや、楊氏は無我夢中で相手に掴みかかっていた。驚いたのは洪の方である。自分の女房が血相変えて飛びかかってきたものだから、とっさに身をかわした。楊氏は勢い余って長椅子に突っ伏した。男は振り向いて、なおも自分に掴みかかろうとする楊氏を長椅子に押さえつけた。そして、そのままぐいぐいと首を締め上げたのである。楊氏は懸命にもがいたが、男の力には敵わず、抵抗する力は段々弱くなった。そして、その顔色はみるみる青黒くなっていった。その時、

「この人殺し野郎!!」

 勢いよく扉を蹴破って飛び込んできたのは皇甫松と行者であった。間一髪のところで楊氏は命拾いをした。

 開封府の厳しい取り調べを受け、元坊主の洪は皇甫松とその夫人の楊氏を騙した一件を自白した。この坊主は不当にも詐欺を働いただけでなく、無辜(むこ)の婦人に対する殺害未遂の罪でも告発され、死刑に処せられることとなった。洪の自供により、楊氏の叔母という女も逮捕された。実は全くの偽物で、莫連女が叔母になりすましていたのである。洪とぐるになり、その罪を知りながら告発しなかったということで、他州へ流刑に処せられた。
 楊氏は皇甫松のもとへ戻り、行者は罪人逮捕に協力したということで褒美を与えられただけでなく、元の寺へ戻ることを許された。
 まずは一件落着。

(明『清平山堂話本』)

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