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井戸掘り一千尺


 

 朝の神龍元年(705)のことである。房州(注:湖北省)竹山県にある富人が隠棲していた。周囲に水が乏しくて生活にも事欠くので、人夫を雇って屋敷の裏に井戸を掘らせることにした。なかなか水脈に達せず、何と二年も掘り続ける羽目になった。深さは一千尺(注:約300メートル)にまで達した。それでも、水は出ない。あきらめずになおも掘らせ続けた。

 二年と一ヶ月余りが過ぎた頃、井戸を掘っていた人夫の耳に地中から鶏や犬、スズメの鳴き声が聞こえてきた。始めは空耳かと思ったが、さらに数尺ばかり掘り続けると目の前に洞穴がポッカリと口を開いていた。人夫は奇妙に思いながらも、好奇心に駆られてその洞窟の奥へと進んで行った。中は真っ暗闇で、人夫は手探りで進んだ。ほどなくして石の壁にぶち当たり、そこを迂回すると前方に日の光が見えてきた。それを目指して更に前進すると、いきなり真昼のように目の前が開けた。

 足下には山々が連なっている。気が付くと山の頂上に立っていた。まるで別天地に出たかのようである。人夫の立っている山は幾つもの切り立った岩山や深い谷に囲まれていた。不思議に思いながら、人夫は山を下りて行った。岩山は瑠璃色に輝き、深い谷の奥には金銀に彩られた宮殿が建っている。山中の木々は竹のような節のある幹に芭蕉のような葉、あるものは紫色の盆のような花をつけていた。その花の間を五色の蝶が扇ほどもある翅を翻して舞っていた。また、鶴ほどの大きさの五色の鳥が梢で休んでいる。それぞれの岩山の麓には鏡のように澄んだ清らかな水の湧く泉と、乳色の泉とがあった。
 山を下りた人夫は近くにある宮殿でここが如何なる場所か尋ねようとした。入り口にある牌楼の門額には「天桂山宮」と書いてある。さて人を呼ぼうとした時、牌楼の両脇から一人ずつ走り出てきた。どちらもツルリとした童子のような顔で、身にはフワフワとたなびく衣、頭には金冠、しかし脚は裸足であった。
「どこから来なさった?」
 二人は人夫の姿を認めて尋ねた。この牌楼の番人らしい。そこで、人夫かここに来た経緯を説明し始めると、数十人の者がどこからか湧いて出て来て、
「なるほど、俗な濁った空気の原因はこれか」
 などと言い合って二人の番人の職務怠慢を責めた。二人は平伏して、
「外界の人夫があやまって迷い込んだのでございます。ただ今、経緯を聞いている所で、報告がまだなのでございます」
 と答えた。人夫が改めて話を始めるとそれは一々奥へ報告され、話が一通
り終わると奥から緋の衣をまとった伝令が出てきた。
「門吏に命ず。この者を速やかに外界に帰すように」
 牌楼の番人は平伏してこの命令を受けた。人夫も一緒になって平伏した。
 一群の者達が内へ引き込んだ後、番人が人夫に言った。
「という命ではあるが、折角来たのだから少し見物して帰りたくはないか?」
「見物してもええんですか?こりゃあ、目の正月だわい」
 ということで門番の一人が人夫を案内してくれることになった。門番は玉の札を一枚携えていた。
 まず、人夫を先程の澄んだ方の泉に連れて行くと水浴させ、着ていた衣服も洗わせた。次に乳色の泉で口を漱がせた。水の味は乳のように甘かった。人夫が何口か飲むと酔ったように気分がほんわかしてきて、腹がくちくなった。
 それから、門番は人夫を従えてどんどん山を下りて行った。宮殿のある場所に出れば必ず牌楼の前まで連れて行ってくれはするが、中には入らせなかった。外から眺めるだけだった。

 このようにして半日余りも見物しながら歩いた。山を下りきった所に金銀珠宝で飾られた城郭が鎮座していた。門額には「梯仙国」とある。人夫が、
「何ですかな。この国は?」
 と問うと番人は
「修行成って仙人になった者は、まずここに送られて七十万日、研修を受けなけれならないのだ。それから、それぞれに見合った官職について崑崙山や蓬莱山などに派遣されるのさ。研修を終える頃には空だって自由に飛べるようになってるんだ」
「研修」と聞いて人夫は、
(やれやれ、仙人様も難儀なこった。俗世で修行するだけでは足らんのか)
 と考えている内に、一つの疑問が湧いてきた。
「仙人の国なのになんでこんな地底にあるんですかな?てっきり山の上にあるんかと思っとりましたが」
「ここは、地底の『梯仙国』さ。『梯仙国』はお前さんが言うように山の上にもあるよ。ここと全く同じだよ」
 そして、人夫に、
「もう帰った方がいいな」
 と言って、再び山を上った。歩きながら番人は、
「お前さんがここに来てからそんなに時間が経っていないように思っているだろう。しかし、人間界ではもう数十年も経っている。だから、入って来た所から出ることはできないんだ。今、通天関の鍵を取ってくるから、少し待っていなさい」
 と言い聞かせてから去った。しばらくして金印と玉の札を持って戻ってきた。
「さあ、行こう」
 二人は今度は来た時とは別の道を進んで大きな門の前に出た。見ると数人の者が平伏している。番人が金印と玉の札を示すと、門を開けてくれた。番人は門の中へ人夫を押し込んだ。その途端、人夫は湧き上がる雲と霞に取り巻かれ、何も見えない。
「気をつけて行きなさい」
 番人の声が聞こえた。やがて、雲が晴れると洞窟の中にいた。人里に出てわかったことだが、房州の北三十里にある孤星山の頂上にある洞窟であった。人夫はその足で竹山の富人の家へと向った。富人はとっくに死んでいて曾孫の代になっていた。井戸のことは誰も憶えていなかった。その跡を訊ねるともうすっかり崩れ去り、陥没したような穴が残っているだけだった。

 人夫は自分の家に戻ってみたが、家族がどうなったかわからず、近所に見知った顔もなくなっていた。 天涯孤独となった人夫は五穀を断ち、諸国周遊に出かけたとのことである。その行方は誰も知らない。

(唐『博異志』)