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銘酒老龍口(一)


 

 龍口(ラオロンコウ)は瀋陽(しんよう、注:遼寧省)特産の白酒である。その歴史は清の康熙(こうき)元年(1662)まで遡る…。

 瀋陽がまだ盛京(せいけい)と呼ばれていた頃のことである。小東辺門の外に一人の貧しい秀才が住んでいた。名を呉有蘭(ごゆうらん)といい、山西の出身で、五十をとっくに過ぎながら官職につくこともできず、寺子屋を開いて子供達に読み書きを教えて暮らしていた。長年連れ添った妻との間には小鳳(しょうほう)という十七になる娘が一人いるだけであった。この小鳳、生まれつき聡明な上に手先が器用で針仕事をしては家計を助けたので、呉家は貧しくはあったが、それなりに暮らすことができた。
 ある日、寺子屋で呉秀才が教鞭を取っていると、小鳳が嬉しそうにやって来た。
「お父様、お客様がいらっしゃったわ」
 お客と聞いても呉秀才には心当たりはなかった。他郷から盛京に流れてきた呉秀才には、当地に知り合いらしい知り合いなどいなかったのである。
「小鳳や、一体誰が訪ねてきたというんだね」
「孟のお兄様よ、山西からいらしたの」
「ああ、仙洲(せんしゅう)か」
 呉秀才の妹は同じ山西の孟家に嫁いで息子を生んだ。呉秀才の甥になる。それが仙洲である。
 小鳳について急いで家に戻ると、客間で一人の青年が待っていた。年は二十二、三、キリっとした眉元の爽やかな青年である。これが呉秀才の甥の孟仙洲であった。
 伯父の姿を認めた仙洲は急いで立ち上がると、呉秀才の前に進み出て挨拶をした。一通り挨拶を済ませた後、席についてから妹一家の近況を訊ねた。
「お蔭様で父も母も息災にしております」
 最後に妹夫婦に会ったのはいつのことだったろう、と記憶の糸を手繰りながら呉秀才はうなずいた。その時、呉秀才は甥が科挙試験を目指して勉強していたことを思い出した。
「学業の方はどうかね?」
 仙洲はポリポリとうなじを掻きながら、さも言いにくそうに頭を下げた。
「伯父上には根性なしと罵られるかもしれませんね。実はそちらの方では食べていけないのでさっさと見切りをつけ、三年前から商いに手を染めております。今回は両親に山西の黒酢と絹物を盛京で売りさばくよう命じられました。盛京ではこの二品が珍重されているとのことですし、伯父上にお会いすることもできますので」
 それから部屋を見回して続けた。
「それにしてもこんなに困窮なされているとは思いも寄りませなんだ」
 甥の言葉に呉秀才は深くため息をついた。
「女房と娘がやりくりしてくれているお陰で何とか飢えないで済んでおる。ワシの生活は二人に寄り掛かりっぱなしというわけだ。仙洲や、荷物はどうしておる?こちらに運んでくればよいのに」
「商品はもう売ってしまいました。荷物は宿屋にありますが、身の回りの物だけなのですぐに持って来られますよ。伯父上、私は盛京は初めてですが、まことに繁盛してますね。市場はどこも人でごった返してましたよ。ここで店を開かないという手はないと思うんです。伯父上がついていて下されば私も安心ですし、そうすれば伯父上もわずかな月謝のためにあくせく働く必要ありませんし。落ち着いたら両親を山西から呼び寄せて、親戚同士一緒に住めばいいでしょう。伯父上、いかがです?」
 呉秀才は黙って甥の言葉に耳を傾けていたが、思いもよらぬ提案を持ちかけられてしばらく考え込んだ。
「皆で一緒に住むことに否やはないが、しかしなあ、ワシは『子曰く』を唱えるしか能がないでのう、商いはトンと不案内なんだが…。それに商売を始めるにしても条件のよい場所を選ばぬとなあ」
 ちょうどそこへ酒を運んで来た小鳳が口を挟んだ。
「お父様、通りの向こうの造り酒屋が売りに出たでしょう?あれをお兄様に見てもらったら…」
 呉秀才は顔をしかめて首を横に振った。
「ダメダメ、あれはダメだ。あそこの酒ほどまずいものはないぞ。結局、酒が売れずじまいで、元手も無くしそうになったから、売りに出ただけじゃないか。あんな店買うだけ無駄だよ」
 仙洲の方はこの話に興味を持ったようで、小鳳の言葉に身を乗り出した。「伯父上、物事が成功するかどうかは人のやり方次第ですよ。今の持ち主で売れなくても、私達なら売れるかもしれません。それに売れる売れないは景気にも関係ありますし、また売り方に問題があったのかもしれないし。それで、いくらで売りに出てるのですか?」
「三百両よ」
 小鳳が元気よく答えた。
「李小母さんから聞いたわ。三百両ですって」

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