羅刹鳥


 

 の雍正年間(1723〜1735)のことである。

 北京の内城に住む某という富人の息子が嫁を迎えることになった。娘の家も名門で、屋敷は城外にあった。婚礼の当日、花嫁は籠に乗り、その周りを伴の者が騎馬で取り囲むようにして新郎の家へ向けて出発した。途中、とある古い墓のそばにさしかかった時、サッと生臭い風が吹き付け、花嫁の籠を数回取り巻いた。その風の舞い上げる砂や小石に一同は目を開けていることもできず、その場に立ち往生したが、風はまもなく止んだ。再び出発した一行は無事に新郎の家に着き、花嫁の籠は大広間に担ぎ込まれた。介添え役の女がしきたり通り籠の簾をあげて花嫁を扶け下ろしたのだが、何と中にもう一人花嫁がいて、自分で簾をはね上げると最初の花嫁と肩を並べて下りて来た。二人の花嫁は姿形から婚礼衣装まで何から何まで寸分たがわず瓜二つで、どちらがどちらなのか見分けもつかないほどである。
 二人の花嫁は当然の権利とばかりに揃って奥へ通ると、舅姑に嫁として挨拶をした。舅姑はどう答えていいのかわからず、ただ夫婦で顔を見合わせるばかり。しかし、今さら婚礼を中止するわけにも行かず、息子と二人の花嫁で婚礼を執り行うことにした。新郎を真中にし挟むように二人の花嫁が立つのである。思えば滑稽な光景なのであるが、立ち会った親戚達の目には不思議さだけが先行して誰一人笑う者はなかった。当の新郎だけが、美しい二人の花嫁に囲まれてすっかりにやけ切っていた。
 床入りの段になり、新郎は二人の花嫁を連れて寝室へと下がっていった。使用人達も各々自室に下がり、新郎の両親もしきりに今日の出来事に首をひねりながら床についたのである。
 誰もが寝静まった頃、耳をつんざく叫び声が屋敷中に響いた。新郎の悲鳴であった。続いて女の叫び声が聞こえた。若夫婦の寝室に駆けつけた両親や使用人が目にしたのは一面の血の海であった。若夫婦はと見れば、新郎の方は寝台の下に倒れ、花嫁の一人は寝台の上の血だまりの中に仰向けに伸びていた。どちらも顔中血だらけである。もう一人の花嫁の姿はどこにも見えなかった。
 灯りで室内を照らしてみると、梁の上に何やら黒い影がうずくまっている。それは一羽の大きな鳥であった。暗い灰色の羽毛に、鉤のように曲がった嘴(くちばし)、雪のように白く輝く鋭い爪を持っている。一同、その恐ろしげな姿にすっかりすくみ上がったが、肝の太い下男数人が矛や弓矢を手にこの怪鳥に打ちかかると、怪鳥は大きな翼を広げて羽ばたかせた。そして、けたたましく鳴くと、青い燐光のような目をギラつかせながら一同の頭上をすり抜けるようにいずこかへ飛び去った。それと同時に生臭いにおいが一同に襲い掛かった。
 床に倒れていた新郎が意識を取り戻してこんなことを言った。
「着物を脱いで寝ようとした時、左側にいた女が突然、袖を振るったかと思うと、目に激痛が走って何も見えなくなった。その後のことは何もわからないのです」
 花嫁の方も息を吹き返した。
「旦那様の悲鳴に驚いていたら、あの女が恐ろしげな鳥の姿に変わっているではありませんか。いきなり鋭い嘴で突きかかってきて、あまりの痛さに後のことは覚えておりません」
 若夫婦は無残にも眼を抉り取られていた。
 その後、治療の甲斐あって若夫婦は命だけは取りとめた。しかし、視力は永遠に失われた。そのためか夫婦仲は非常によく人も羨むほどであった。ただ、愛し合いながらもお互いの姿を見ることができず、手で互いに探り合う姿は時として人の涙を誘った。

 言い伝えによると、墓場に長らく溜まった死者の陰の気というものが年を経て鳥の姿をとることがあるのだそうだ。この鳥の名は「羅刹鳥(らせつちょう)」といい、灰色の鶴のような姿をしている。変幻自在で人の眼を好んで食うというから、おそらく夜叉や修羅の類であろう。

(清『子不語』)