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洛陽三怪記(一)


 

 陽は花の都である。人士はみな花を好み、家々では花を植え、春になるともう街全体が花に覆われたかのようになる。中でも城外の寿安山は花咲き乱れ、草は青々と茂り、花見に繰り出す人々で大いに賑わう。昨今、臨安府(注:現在の浙江省杭州)の官巷口の花市を寿安坊と呼ぶのはこれに由来している。
 定鼎(ていてい)門から寿安山へ至る途中に会節園という名園がある。これが見事な造りの庭園で、朱の欄干に瑠璃の瓦、園内を流れる渓流には亭を、築山には太湖石を配し、その周りには翠竹が生い茂るというまことに結構な庭園であった。二月、三月の頃ともなると洛陽の人士はみなこの園を訪れ、春を楽しむのである。

 さて、ここ洛陽に潘松(はんしょう)という若者がいた。宝飾店の若旦那で至ってのほほんとした人物。この潘松、清明節の折に両親に断って花見へ出かけることにした。まず、定鼎門近くに住む友人の翁三郎(おうさぶろう)を尋ねた。一緒に花見に行こうと誘う腹積もりであった。出てきたのは細君である。まずは挨拶。それから、
「三郎はんはおられますかいな?」
 ときくと細君の答えは、
「うちの人なら会節園に花見や言うとりました。さっき出て行きましたから、ちょっと急げばすぐ追いつけますわ。あの人あんまり足が速うありませんよってに」
 とのこと。潘松は、
「さいですか。ほな、追っかけてみますわ」
 と答えると早足で歩き始めた。気候はよく、歩くのには最適である。定鼎門を抜けてプラプラ歩くうちに、あっという間に会節園に到着したのだが、翁三郎には追いつけなかった。もしかして園内で出くわすかも、と一人で見物することにした。花は紅、柳は緑、磨き抜かれた欄干に寄り掛かって休む娘達、いずれが菖蒲(あやめ)か杜若(かくつばた)、と何から何まで結構ずくめである。しかし、園内でも翁三郎を見つけられなかった。
「行き違いになったんかいな…」
 潘松は一人で花見を済ませて帰ることにした。来る時には急ぐあまり目もくれなかった途中の風景だが、ゆっくり一人でそぞろ歩くとこれがまた結構である。遠くに見える山々は新緑に覆われ、その中に花々が点々と散りばめられてまるで錦のよう。思わず足取りも軽くなり、大通りをそれてあぜ道へと足を踏み入れた。そのまましばらく春を楽しみながらそぞろ歩いたのであった。
「ぼん」
 その時、後ろから声を掛ける者があった。呼ばれて振り返ってみると、あぜ道の傍らの柳の木の下に老婆が一人立っている。皺だらけの顔の上に真っ白な髷(まげ)をのっけた見知らぬ老婆である。
「どちらはんですかいな?初めてお会いするような気がするのですが…」
 と潘松がたずねると、老婆はニッコリ笑って、
「いややわあ、うちを忘れはったんかいな?うちはあんたの伯母さんや、あんたの母さんの姉さんですわいなあ」
 と言う。潘松はしばらく考え込んでいたが、
「確かに母方の伯母は仰山おりますわ。会うたことのないのもおるし…。言われてみると、うちのおかんとよう似とりますわ」
「久しぶりやのう。ここで会うたも何かの縁やわ、うちでお茶でもどうやろ」
「ほな、お邪魔させていただきましょ」
 と言うことで老婆の後に付いて歩き始めた。でこぼこしたあぜ道をしばらく行くと、丸木橋のかかる小川に出た。丸木橋の向こうに生け垣に囲まれた一軒の家が建っている。老婆がスタスタと丸木橋を渡るので、潘松も後に続いて渡った。老婆が生け垣の一ヶ所を推すとパタンと開いた。門だったのである。中に入れば、そこは荒れ果てた広大な庭園だった。草が茫々と生い茂り、築山は崩れ、亭は傾き、池の水は落葉に覆われていた。すっかり荒れ果てており、いつの時代のものかわからないが、かつては会節園に劣らない名園だったと思われる。
 老婆は潘松を築山の上の傾きかけた亭に連れて行って坐らせると、
「ここで待っとってや。御寮(ごりょう)はんに知らせてきますよってに」
 と言い残して母屋と思しき建物に入って行った。しばらくすると築山の背後から二人の青衣の少女がやって来て、
「御寮はんがお呼びどっせ」
 と言った。潘松がふざけて、
「どの御寮はんかいな?」
 と言うと、少女の一人がビックリして、
「若旦はん、なんでここに?」
 と叫んだ。少女の顔を見た潘松もビックリである。
「お前、春春やないか?」
 春春とは潘松の隣家の王家の娘で、数日前に突然、病で亡くなった。その死んだはずの春春が目の前に立っているのである。
「どないなっとるんや?」
「一言では説明できません。若旦はん、早う逃げとくんなはれ。ここは生きとる人の来る所と違います。早う、早う、急がんと命が無うなってしまいます」
 と春春はもっとビックリするようなことを言い出した。

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