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指輪


 

 阿(注:江蘇省)の小辛村に秦樹という人がいた。義熈年間(405〜418)のことである。所用で都の建康(注:現在の南京)に行った帰り、家まであと二十里余りという所で、日が暮れて道に迷ってしまった。遠くに人家の灯が見えたので、それをたよりに行ってみることにした。果して一軒の家があった。一間きりの小さな家である。秦樹が戸を叩くと中から、
「はい」
 と女の声が返ってきた。
「すみません、旅の者ですが道に迷って難渋しております。一夜の宿をお貸しいただきたいのですが」
 と秦樹は丁重に頼んだ。ややあって、戸が開くと女が一人灯を手にして出てきて、
「若い女の一人暮らしですので、よそのお方をお泊めするわけには参りませんわ。どこか他をお当たり下さい」
 と答えた。他をと言われてもこの一軒しか家がないので、秦樹は慌てて、
「そんな殺生な。この夜道をどこへどうやって行けとおっしゃるんです?軒下で構いません、夜露がしのげれば結構です。どうぞ、哀れと思し召して」
 と懇願した。女は秦樹の言葉に心を動かされたようで、中へ入るよう促した。女に勧められるままに座を占めたが、狭い一部屋で女と二人きりでこんな夜遅くに顔を突き合わせているのは何とも落ち着かなかった。見るともなしに女の様子を見ていたが、これが中々の美人である。
(いい女だな。亭主はいるのかしら?もし、いたとしてその亭主がここへ戻ってきたら、何の申し開きもできないぞ。あっさり中に入れてくれたのも怪しいなあ…、もしかして美人局だったらどうしよう?)
 と秦樹は俄に不安になってソワソワしだした。女はその心配を見て取ったらしく、
「私一人きりだと申し上げましたでしょ。遠慮なさることはありません」
 と言って食事の用意をしてくれたが、運ばれてきた料理はどれも冷えていた。しかし、女のもてなしは心がこもったものであった。
 女のことを好ましく思い始めた秦樹は、相手もまんざらでもなさそうだとわかると大胆になった。
「あなたはまだお一人だそうですね。実は私も独り身なんです。今までは心に適う女性と巡り会えませんでした。でも、今はあなたのことを好ましいと思うようになっています。お会いして何時間も経たないのにこんなことを言い出して、厚かましいと思われることでしょう。あなたさえよかったら、私の生涯の伴侶になってほしいのです」
 女は恥ずかしそうに俯いたまま、
「私のようなものを伴侶だなんて…」
 と答えた。それを承諾の意と理解した秦樹は女の手を取って引き寄せると、灯を吹き消した。

 翌朝、秦樹は出立に当たって女の手を握って再会を約した。すると女は、
「私達、二度とお会いできないような気がしますわ」
 と泣いた。そして、はめていた一対の指輪を外すと、秦樹の着物の帯に結び付けて送り出した。数十歩進んでから秦樹が振り返ると、そこには家はなく塚が一つあるだけであった。
 着物の帯を見ると、女のくれた指輪もなくなっていた。ただ、女が結んでくれた結び目だけが残っていた。

(六朝『異苑』)