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業病(五)


 

 「私は恐ろしい麻瘋(まふう、注:ハンセン病のこと)の病に罹っております」
 麗玉の口から“麻瘋”という言葉が発せられた途端、綺は弾かれたように彼女から離れた。麻瘋とは皮膚が崩れ、体の筋がこわばり曲がっていく業病である。
「ここは広東といっても広西に近く瘴気(しょうき)に満ちた土地です。異族と混血が進んでいるせいか器量のよい娘が多いことで知られる土地でもあります。しかし、どうした自然のいたずらでしょう、器量のよい娘は皆、生まれながらにこの病に冒されているのです。この病は満十五歳になるまでは発病しません」
 麗玉のにごり一つない白い肌の奥に業病が潜んでいるなど、思い浮かべることは無理であった。
「治す方法はないの?」
「方法は一つだけあります。そのために地元の金持ちは娘が年頃になると、婿とりの名目で莫大な金を使って遠方から若者を呼び寄せます。そう、今のあなたのように。この病は発病前に他人にうつしてしまえばよいのです。そうしておいて改めて真の縁談を進めます」
 綺はこの婚礼の裏に仕組まれたからくりの全てを悟った。
「病をうつされた者は…」
「三、四日後には首筋に紅い染みが浮いてきます。七、八日もすると全身に痒みが生じますわ。一年も経てば体が曲がってしまいます。それほど症状がひどくなくても、子供を持つことのできない廃人になってしまいます」
 綺は己の両の手を見つめて、それが曲がっていくさまを想像した。綺は思わず身震いすると、麗玉の前にひれ伏して泣きながら訴えた。
「僕は何て不運なんだ!広東で独りぼっちな上に、業病まで背負い込まなければならないなんて!ああ、お嬢様、お願いです。どうかこの僕を逃がして下さい」
「それは無理ですわ。この辺りではよそ者を求めようにも非常に困難です。父がそう簡単にあなたを逃がすわけはありませんわ。すでに門の外では刀を持った屈強な男が何人かあなたを逃がすまいと見張っていますもの」
「いいえ、僕は自分の命を惜しんでいるのではありません。ただ、家には年老いた父がおります。跡取りである僕が異郷の地で命を落としたと聞いたらさぞや悲しむことでしょう」
 麗玉は綺を助け起こして、手巾(ハンカチ)で涙を拭ってやりながら言った。
「私があなたに病をうつすなどと心配なさらないで。私もいささか書物を読んでおりますので、名節の何たるかを存じているつもりです。ここは辺境の地で人倫は乱れ、貞節の観念も重視されておりません。ですから、病を治すために平気でこのような人の道に反する方法を取れるのです。私はこういう風習が嫌で嫌でたまりませんでした。私は人を犠牲にしてまで生きていたくありません。自分の運命を潔く受け入れるつもりですわ」
 麗玉は衣桁(いこう)から綺の上衣をはずして、肩に着せかけた。
「今晩から三日間、着物を着たまま眠るのです。絶対に私に触れようなどと思ってはなりません。そして、三日後に父から旅費をもらったら、そのまま淮南へ向けてお発ちなさい。二度とこちらに足を踏み入れてはなりません。私は遅かれ早かれこの世を去るでしょう。お願いですわ。淮南にお戻りになったら私のために『結髪元配邱氏麗玉之位(最初の妻邱麗玉の位牌)』と書いた位牌を用意してやって下さい。そうして下されば私、あの世からあなたに感謝いたしますわ」
 そう言って、麗玉は嗚咽(おえつ)した。その心根のいじらしさに綺の心は揺さぶられ、名ばかりの妻を抱きしめて共に泣いた。
「ああ、結ばれれば僕が死に、このままだと君が死んでしまう…。僕達のどちらか一方は死ななければならないのか!こうなったら、僕達二人、毒を飲んで一緒に死のう。来世こそ一緒になれることを願って死のうよ」
「あなたは本当にお優しい方ね、でも、それはなりません。私のために死んではなりませんわ。お願いがあります。あなたの淮南のご住所を短冊に書いて下さい。それを着物に縫い込んでおきます。そうすればいつの日か、私の魂が迷わず淮南へ飛んで行ってお舅様、お姑様にご挨拶できましょうし、あなたからお供物をいただくこともできましょう」
 綺は涙に咽(むせ)びながら短冊に住所を書き上げた。麗玉はそれを受け取ると、何度も声を出して読んだ。
「淮南とはどのような所なのでしょうね。あなたのような方が生まれ育った所だから、さぞかしよい所なのでしょう。いつか、もしも奇跡が起きたら、私、きっとあなたに会いに参りますわ」
 麗玉は起こるはずもない奇跡を夢見て言った。

 

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