業病(九)


 

 試の結果が発表され、綺は見事合格した。近隣の娘を持つ親達はこぞって綺との縁組を望み、仲人を立てて申し込んだ。しかし、仲人はすべて門前払いを食らわされた。父は最初の内は何も言わなかったが、最後の仲人を帰した時にポツリと呟いた。
「先祖の祭りはどうすればよいのじゃ」
 父の呟きを耳にした綺は泣きながら訴えた。
「私はまだ二十一歳です。麗玉はもうあまり長くはもちません。彼女を見送ってからでも遅くはないでしょう」
 確かに麗玉の容態は悪化の一途をたどっていた。秋試に受かった綺は中央での試験を受ける資格を得たのだが、少しでも麗玉のそばにいてやりたくて病と称して受験を取り止めた。これを聞いた麗玉は己の頭を酒甕に打ちつけて嘆いた。
「ああ、私のために縁談をお断りになったばかりか、試験までお受けにならないなんて。私がいるばかりにあなたにご迷惑をおかけしてしまった。これでは、あの世でご先祖様に会わせる顔がありません。今すぐにも死んでお詫びをいたします」
 そう言って、酒甕に繰り返し頭を打ちつけた。甘蕉が止めに入ってようやく落ち着いたのであった。これをきっかけに麗玉はこれ以上、綺に迷惑をかけないためにも、一日も早く死のうと心に決めた。

 ある日、綺は親戚の家に招かれて出かけた。帰宅する段になって大雨に見舞われ、親戚の家に泊まらざるをえなくなった。甘蕉は風邪をこじらせて、自室に戻って休んでいた。そういうわけで酒倉には麗玉一人が寝ていた。
 麗玉は体の到る所が痒くて眠られないまま雨音を聞きながら起きていた。その時、梁の上でシュルシュルと音がしたかと思うと、子供の腕くらい太さのある黒い蛇が顔をのぞかせた。長さ七、八尺(注:当時の一尺は32センチ)はあろうかという大蛇である。麗玉は始め恐怖を感じたがすぐに思いなおした。もしもこの大蛇に呑まれて死ねれば、それこそ本望だ。すっかり体力を失ってしまった今、自害することは困難になっていた。そう心を決めて蛇が自分のもとに来るまでジッと待った。
 大蛇は尾を梁に巻き付けたまま酒甕の方へ頭を垂らした。そして、酒甕に載せてある木の蓋を押し退けると、頭を酒甕に突っ込んでビチャビチャと音を立てながら酒を飲んだ。見る見るその腹が段々丸くなり、まるで酒甕のようになった頃、大蛇は満足したように頭をもたげた。
 これから先に起こったことは、偶然なのか運命なのかはわからない。ただ、梁がかなり弱っていたのは確かであった。また、大蛇の腹に酒が入りすぎていたのも確かであった。偶然か運命か、一見頑丈に見えた梁はポッキリと折れ、大蛇はそのまま酒甕に落ち込んだ。甕が空ならよかったのだが、まだ半分ほど酒が残っていたのだからたまらない。大蛇は溺れる苦しみからしばらく甕の中でもがいていたが、やがて静かになった。麗玉が灯を手に酒甕のそばにいざり寄って見てみると、大蛇は死んでいた。溺死である。
 大蛇に呑まれて死ぬという望みも絶たれ、麗玉は己の不運を嘆いたが、じきに気を取り直した。もしかしたらこの蛇には毒があって、その毒が酒にしみ出ているかもしれない。鴆毒(ちんどく)の代わりに、と思って杓ですくって飲んでみた。一口飲んだ途端、心が清々しくなった。どのくらい飲めば効くのかわからないので、とりあえず飲めるだけ飲んでみた。一升(注:約1リットル)ほども飲むと、心にわだかまっていた憂いが綺麗サッパリ消えていくような気がした。この酒で試しに体の痒くてたまらない所を洗ってみると、痒さがやわらいだ。
 明くる日になっても綺が戻ってこず、甘蕉もまだ姿を現さなかったので、麗玉は大蛇の落ち込んだ酒を飲み、その酒で体を洗った。不思議なことに、あれほどかさぶたに覆われて肥厚した肌が柔らかくなっていた。かさぶたが剥がれ落ちて、以前のように滑らかで潤いの肌に戻っていた。鉤のように曲がっていた指もすんなりと伸び、自由に動かせるようになっている。鏡を見たいのだが、綺の心遣いで酒倉に鏡は置いてなかった。
 ちょうどそこへ食事を運んできた甘蕉は麗玉を見るなり叫んだ。
「まあ、まあ、奇跡だわ!」

 

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