業病(十)


 

 が親戚の家から戻って来ると、門前で甘蕉が待ち受けていた。何を興奮しているのか、ただ、ただ、
「奥様が、奥様が」
 と言って酒倉の方を指すだけである。綺はてっきり麗玉が危なくなったと思い、酒倉に駆け込んだ。そこには広東で別れた時のままの美しい麗玉がいた。病でこわばった体はまっすぐに伸び、そそけ立った髪もしっとりと落ち着いていた。何よりも厚くかさぶたに覆われていた肌が、玉のような輝きを取り戻していた。
 本人にも何が起きたのかわからないようで、不思議そうに頬を撫でさすっていた。綺がどうしたのかと問うと、
「死のうと思って、蛇の沈んだお酒を飲みました」
 という答えが返ってきた。そこで、綺が酒甕を覗いてみると、甕の底に黒い大蛇が一匹溺れ死んでいた。頭に赤褐色の角の一本生えており、この地方に棲む野性の蛇の中の王者と言われ、俗に烏風と呼ばれる種類の蛇であった。
 綺は早速、麗玉を母屋に移らせて着替えさせたのだが、正装した麗玉の姿は綺の目には広東にいた時よりも美しく見え、まるで天女のようであった。改めて麗玉から嫁としての挨拶を受けた陳老人は、こんなことを言った。
「子供の頃、禹迹山には千年の齢を経た蛇王が棲むと聞いたことがある。天竺から来たとかいう僧侶がこの蛇を探しておったわ。何でも疥癬(かいせん)に効くとのことだったが、見つけることはできなかった。きっと、天がうち嫁の病を治す時のために、特別にとっておいて下されたのだろう」
 こうして、ようやく綺と麗玉は結ばれた。この奇跡を聞きつけた近隣の者が祝いに集まったのだが、皆、この不思議に感じ入った。

 三年後、麗玉は赤ん坊を生んだ。本人も綺も、病のために子供のことは諦めていただけに、その喜びはひとしおであった。麗玉は業病を負っていた時分に親身に世話をしてくれた甘蕉に深く恩を感じ、女中の身分から綺の妾に引き上げようとした。しかし、これは綺が頑として受け付けず、沙汰止みとなった。
 同じ年に、綺は北京で受験して見事合格した。そのまま学者として翰林院(かんりんいん、注:天子の詔勅の作成を司る)に入り、任期満了の後、地方へ太守として赴任した。綺は赴任先で専ら貧者や病人の救済に努めたため、皆から慈母のように慕われた。この評判は北京まで届き、両広総督(注:広東・広西地区の地方長官)に抜擢された。
 赴任した綺は使者を邱家へ遣わして、至急、麗玉を連れて来るよう命じた。これに仰天したのは邱老人である。まさか麻瘋局に入った麗玉が行方知れずになったとも言えず、使者に向かって泣きながらこう言った。
「我が娘は薄命にして、この世を去ってもう久しくなります。総督閣下は、死者を差し出せと仰せになられますのか」
 邱家の偽りの返答を持って使者は戻って行ったのだが、すぐに別の命令がもたらされた。それは麗玉の遺骨を引き渡せというものであった。
 邱家ではひっくり返らんばかりの騒ぎになってしまった。こうなったら賄賂でごまかすしかないと言うわけで、総督閣下のご父君の誕生祝いにと千金を贈ってきたが、綺はそれを退けた。焦った邱老人は自ら出頭して、麗玉は綺の後を追って出奔し、深い谷に落ち込んで死に、遺骨はいまだに見つからないと言い訳した。この話を聞いた綺は笑って、
「そんなことで私をごまかせると思ってるんですか」
 そして、奥から夫人を呼び寄せた。一品命婦の正装を纏った総督夫人が腰元達に扶けられて現れたので、邱老人は慌ててその場にひれ伏した。すると、夫人がその手を取って立たせようとするではないか。よくよく見てみるとそれは娘の麗玉であった。
 麗玉は邱老人の手を取ってたずねた。
「お父様、お母様にはお変わりありませんか」
 邱老人は驚きのあまり、開いた口も塞がらなかった。
 綺は麗玉のために麻瘋患者専用の医療機関を設置した。有能な医者を集め、例の蛇酒から作った薬を使って、麻瘋患者の治療にあたらせたため、完治はせずとも数えきれない患者が命を救われた。
 綺は不惑の年(注:四十歳)を越えてから、辞職して故郷の禹迹山に戻ることにした。故郷に残した父の余生を見取ろうというものである。もっとも、父は年経てますます元気ではあったのだが。故郷に戻った綺は叔父の墓を改修し、また麗玉が一時身を寄せていた尼寺に寄進して立派なものに建て替えさせた。また邱夫人碑を立て、麗玉の功績を讃えたのである。

 今に到るまでこの禹迹山は、薬酒の名産地で知られているという。

(清『夜雨秋燈録』)

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