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操(六)


 

 人の人夫は程家へ轎(かご)を担ぎ込むと、早速、菊英を出せ、と騒ぎ立てた。母親の呉氏は慌しく娘の部屋へ駆け込み、
「どうしよう?お前、お父様のご遺言を忘れてはいないでしょうね」
 菊英は落ち着き払った様子で、
「私には私の考えがあります。お母様はご心配なさらないで。」
 そう言うと、鏡に向って静かに髪を梳き始めた。そして、衣装箱を開けて晴れ着を取り出した。
 門前の人夫達の騒ぎはますます大きくなったのだが、菊英は気にもとめなかった。晴れ着の襟元をきっちり合わせ、帯をしっかりと締めた。
「役所に出頭するのですよ。地味な格好をするべきでは?」
 母親にそう言われて、菊英は晴れ着の上に黒い上着をはおった。そして、机に向うと紙を取り出してサラサラと文字をしたため、その紙を袖に忍ばせた。
 それからまだ家に安置されている程翁の棺の前に額づき、声を放って泣いた。ひとしきり泣いてから父の霊前を離れると、今度は母に別れを告げた。母の呉氏は悲しみのあまり言葉も出なかった。また、兄嫁に向って、
「お兄様を煩わせ、お姉様にもご迷惑をおかけしてしまいました。もうお姉様にお仕えすることができません。これも私の薄命でしょう。私はいたずらに生を貪って人様の笑いものになることには耐えられません。残された老母の面倒をよろしくお願いします」
 そう言って涙を落とした。兄嫁も泣いた。
「お母様のお世話は私にまかせてちょうだい。お父様のご遺言はあなたがしっかり守ってちょうだいね」
 菊英は家族に別れを告げて、轎に乗り込んだ。人夫達は菊英の美貌に目を見張り、徐家が横車を押してでも手に入れようとするのも当然だ、と納得した。
 一方、徐家も菊英が拘引されたことを知るや、宴席の準備を整え、隣近所に招待状を配った。また、楽隊を呼ぶことも忘れなかった。登第は早速、髪を洗って顔を剃り、晴れ着に着替えると、意気揚揚と轎に乗り込み役所へ飛んで行った。役所では知県の丁重な出迎えを受けたのだが、菊英の到着を首を長くして待ちかねる登第の姿は人々の失笑を買った。

 日は中天高くにあり、晴れ渡った空の下を菊英を乗せた轎は役所への道を急いでいた。菊英が轎の中から人夫に声をかけた。
「あと何里で着くのでしょう?」
 人夫の一人がは下卑た笑い声を立てて、
「花嫁さんは待ちきれないのかい?」
 とからかい口調で言ったので、皆がどっと笑った。それを受けて一人が口から出任せに冗談を飛ばした。
「おらあ、昔、花嫁さんを運んだことがあるんだがよ、まあ、よく泣く花嫁さんでなあ、轎の中でずっと泣いておるんだわあ。あまりにもひどい泣き方なんで、おらも聞いてられなくてなあ、それでこう声をかけたんだあ。
『お嬢さん、このまま轎を戻しましょうかあ?』
 って。するとなあ、その花嫁さん、途端に泣くのをやめてなあ、こう答えたわあ。
『私は私で泣いてるの。あんたはあんたで轎を担いでればいいの』
 だとよお」
 すると、もう一人が、
「おらも花嫁御寮を乗せたことがあるぞ。轎が古くて朽ちてて、担ぎ上げた途端、底が抜けちまったんだ。何とか修理せねばというわけで、縄で結わえ付けようという者もあれば、職人を呼んで直させようという者もあった。しかし、そんなことをしていたら婚礼の時刻に遅れる。するとな、花嫁がこう言ったんだ。
『必要ありません。あなた方が担いでくれれば、私は歩いていくから』」
 人夫達は口々にこんなことを言い合い、非常ににぎやかであった。
 その時、さっと一陣の風が吹き付け、晴れ渡っていた空がにわかに暗くなった。風は次第に強くなり、吹きつける砂粒で目を開けることも困難になった。このままでは前に進むことができないので、ひとまず路傍の民家の軒下に風を避けることにした。雷鳴が轟き、大粒の雨が降り注いだ。
 半時ほども過ぎた頃、ようやく風雨がおさまり、再び轎は出発した。

 役所の前には噂を聞きつけて集まった群集で人だかりができていた。そこへ菊英を乗せた轎が到着した。すぐさま知県に報告がなされ、数人の下役が菊英に轎から降りるよう命じた。しかし、菊英は降りてこなかった。何度か呼びかけがなされたが、轎の中は静まり返ったままであった。
「知県閣下がお待ちである。この期に及んでも我を張るか!」
 業を煮やした下役が轎に垂らした簾を乱暴にはね上げた。

 

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