商いの心得(九)


 

「近頃、儲かっとりますかいのう」
 バタ臭い顔に似合わない流暢な中国語であった。これには若虚も驚いた。代表格の張大が、
「ぼちぼちですわ」
 と答える。このような商人同士の型通りの挨拶を交わした後、
「いやあ、よう来んさったなあ」
 と言って瑪宝哈(ばほうこう)は皆に茶を勧めた。茶が済むと、大広間へ一同を案内した。そこには酒宴の準備が整っていた。元々、交易船が入港すると、取引先の主人は宴席を設けてもてなし、その後、商談に入るのがしきたりであった。瑪宝哈は琺瑯(ほうろう)の杯を手にして、一同に向かって言った。
「まずは皆さんの品物の目録を見せてもらいましょうかのう。それから席に着くことにしましょう」
 波斯人は利に聡く、人をもてなすにも商品の多寡や値段を基準にするという。皆はもう慣れっこで、自分の商品の値段を心得ているので、品物の目録を見せる前にそれぞれ相応の席に着いていた。ただ、若虚はこのような席は初めてなので、どこに坐っていいものやら見当が分からず、一人ぼんやり突っ立っていた。瑪宝哈が若虚に気付いて言った。
「おや、こちらさんとは初めてお会いしますけんど。きっと、今回初めて海外に行かれたんで品物もそんなにようけないんじゃろうて」
 若虚がどう答えていいかわからないでいると、
「わてらの友人で、海外を見たい言うて着いて来はったんですわ。お金は持ってはることは持ってはるんですが、品物は何も持っとりません。今日のところは末席にでも坐らせてやって下さい」
 と皆が代わりに答えてくれたのだか、若虚は恥ずかしくて堪らない。身をちぢこまらせて末席に坐った。
 酒がまわると、皆は自分の品物の自慢話を始めた。誰かが俺は猫目石を持っている、と言えば、こちらはエメラルドだ、とまことに景気のいい話ばかり飛び交う。若虚は末席でちびちび酒を啜りながら黙って聞いていた。心中、
(ああ、こないなことならみんなの意見を聞いて何か買うておけばえかったなあ。銀貨をなんぼようけ持っていても話に入ることもようできんわ…。いやいや、元々は一銭も元手がなかったんや。ここにこうして坐っていられることだけでもありがたく思わんとあかん)
 と面白くない。こんなことを考えているので、酒を飲む気にもなれない。一方、皆は酒の酔いに任せて色々なゲームに打ち興じはじめた。イッキ飲みを始める者もあり、もう乱痴気騒ぎである。
 さすがに瑪宝哈は経験を積んでいるだけあって、その心中を見抜いており、あえて商売の話には触れずに何杯か酒を勧めるだけにとどめた。一騒ぎも二騒ぎも終えると、一同は立ち上がって、
「いやあ、酒もぎょうさん頂きました。もう遅いから、船に戻らなあきまへん。品物の方は明日、発送いたしますわ」
と告げて船に戻った。
 翌朝早く、瑪宝哈が港に出向いて張大らの船を訪れた。船に乗り込んだ瑪宝哈は船内をぐるりと見回したが、細く開いた船室の扉に目をとめて叫んだ。
「ありゃあ、何ですかいの?」

 

戻る                                 進む