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商いの心得(十)


 

 同は思わず瑪宝哈の指さす先に目を向けた。
「はあ…?あれは船室の扉ですわ」
「いや、ワシの言うちょるんはあの扉の向こうにある物です。一体、どちらのお宝じゃろか?昨日の酒の席では誰も何も言うちょらんかったけん、お売りになる気はないんかもしれんけんど…」
 瑪宝哈の見つけた物が何かわかった一同は大笑いして言った。
「ああ、あれならわてらの友達の文先生のお宝ですわ」
「買い手がのうて困りよりますわ」
 と誰かが付け加えた。瑪宝哈は若虚をちらりと見やったが、その時の形相の凄まじいこと。彫りの深い顔は朱をそそいだように真っ赤で、怒っているのは誰の目にも明らかであった。はなはだ迫力があって恐ろしいのであるが、一体何で怒っているのかは誰にも見当が付かなかった。瑪宝哈は大きなため息をついて言った。
「ワシと皆さんとのお付き合いは決して短うはないはずじゃ。なのにこの仕打ちはどういうことじゃ。ワシに新規のお得意さんを末席に坐らせるような不義理をさせるんじゃけんのう…。ああ、情けないわ」
 そして、若虚の腕を捉えて引き留めて続けた。
「皆さん、ちいと出荷を待ってくれんかのう。ワシはこの方にお詫びをせんと気が済まんけん」
 一同、全くわけが分からなかったが、張大を始めとする若虚と親しい者達や物好きな連中など十人余り、不思議に思って一緒に行くことにした。店に着くと瑪宝哈は慌ただしく椅子を用意させた。それから他の連中には見向きもせず、若虚だけに椅子を勧めて言った。
「先程は失礼致し申したのう。まあ、坐ってもらおうかのう」
 若虚はさっぱりわけが分からず、しきりに首をひねるばかり。
(あれがお宝とは思えんのやけど…一体どういうことやろ?)
 若虚を坐らせてから瑪宝哈は奥へ入っていったが、すぐに出て来て一同に挨拶し、昨日酒宴を開いた大広間へと案内した。そこにはすでに酒肴が幾卓か整えられていたのだが、上座にある卓ときたら昨日のものよりも豪華であった。瑪宝哈は盃を手に取ると、若虚に向かって一礼してから一同に言った。
「今日はこんお方に上座に着いてもらわんとなりませんわ。あんた方の船荷を全部集めたってこんお方にはかないませんけん。いやあ、昨日は失礼致しました」
 一同この様子を見ておかしくもあり不思議でもあったが、半信半疑ながらとりあえずそれぞれ席に着いた。酒が三巡りした頃、瑪宝哈が口を開いた。
「ちょっとお聞きしたいんじゃけんど、あんお宝はお売りなさるんじゃろか?」
 若虚は目から鼻に抜ける男、すぐにピンと来た。
「ええ値段で買うて下さるお方がおれば、いつでも売りますわ」
 その答えを聞いた瑪宝哈は満面に笑みを浮かべて立ち上がると、若虚の手を握って言った。
「やっぱりお売りなさるんじゃのう。言い値で買いますけん、値切るなんてけちくさいことはしませんけん」
 実際のところ、言い値と言われても若虚にはさっぱり値段の見当がつかない。安く言えば素人と見くびられそうだし、かと言ってあまり高すぎては笑い飛ばされるかもしれない。考えれば考えるほど混乱してしまい、値段を切り出せなくなってしまった。その時、咳払いが聞こえた。ふと見ると、張大がこちらに目配せをしていた。彼は椅子の後ろ側に手を回して指を三本立ててから、人指し指を横に払った。三十の意味である。
「言うだけただや。思い切ってこれだけ言うてみいや」
 張大はこう囁いた。これに対して若虚は首を横に振りながら指を一本立てた。
「これだけでもよう切り出せんわ」
 瑪宝哈は二人のやり取りを見て、
「さあ、なんぼじゃろか?早う言いてみんさい」
 張大が口から出任せで答えた。
「文先生のジェスチャーでは一万は欲しい言うてはるようですわ」
 その答えを聞いて瑪宝哈はかんらかんらと笑い出した。

 

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