商いの心得(十二)


 

 宝哈は両手でこの銀の詰まった箱を張大の方へ押し出しながら言った。
「お渡ししますけん。皆さんで分けてもらいましょか」
 張大は暫し呆然の体である。実際のところ、張大を始め誰もが今日一日のことを現実のこととしてとらえていなかった。わけの分からぬまま若虚にくっついて来て、タダ酒にありついてワアワア一緒になって騒ぎ、契約書作成にも立ち会ったのだが、やはり頭の中のどこかでは冗談だと思っていた。それがこうして現ナマを目の前にして初めてようやく事の重大さに気が付いたのである。この銀をどうしようかと思って張大が若虚の方を見ると、当の本人は魂がジャワ、スマトラにでも飛んで行ってしまったかのよう。
(あっちゃー、こりゃあかんわ。奴さん、あまりの幸運に呆けてしまいよる)
 張大は若虚の腕を掴んで言った。
「文はん、この金はどう分けたらええか?あんたの意見を聞かせてもらいたいわ」
 張大の言葉で若虚は我に返ったようである。
「あ、ああ…まあ、あとのことにしましょうや」
 ようやく一言、口から出てきた。瑪宝哈はニコニコ笑いながら若虚に言った。
「一つ言うときたいことがありますけん。お渡しする銀は奥にあります。これまでに秤にかけてありますけん、一文も欠けてないはずです。どなたかに頼んで奥へ行って一包み測ってもらいましょか。そうすりゃあ、わかりますけん。…あ、そうそう、もう一つあったわ。お払いする銀は相当の量じゃけんど、文の旦那お一人ではどうしようもないじゃろう。蘇州までお戻りになる途中で何が起こるかもわからんし…」
 そう言われて若虚は少し考えてから、
「仰せごもっともです。でも、どないすればええんでしょう?」
「ワシの考えではのう、今はお帰りにならん方がええ思うんじゃが。ワシはこの近くに反物屋を一軒持っとります。そこの資本金が三千両です。反物屋の付近には家屋もありましてのう、全部で百間余りで貸し家にしとりますわ。銀に換算して二千両じゃけん、店と合わせて五千両あります。この権利書をお渡ししますけん、旦那はここで商売を始めればええんじゃわ。残りの四万五千両は少しずつお運びすりゃあ、造作もないし。先で蘇州に戻られる時には、信用できる番頭を置いて行きゃあ身軽じゃし安心じゃろうて。でないとワシはええが、あんたが大変じゃけんのう。どうじゃろう、ワシの意見は?」
 瑪宝哈の識見に深さに若虚と張大はつくづく感服である。
「いやあ、成功する人ってのは言うことも一々理にかなっとりますなあ」
 若虚は心中つらつら考えた。
(そやなあ、わてには女房子供もおらんし、財産もすっからかんになってもうた。こないにぎょうさん銀子を持って帰ったって置く所もあらへん。ここは言う通りここに家を構えた方がええんかもしれん。こないな幸運、滅多にないで。これも天の思し召しやわ。思し召しには従わんとな。店や家の値段が五千両にならんでも文句を言うたらあかん。どうせ、タダなんやもんなあ)
 考えが決まると瑪宝哈に言った。
「今のお言葉、まことにごもっともですわ。おっしゃる通りにいたします」
 瑪宝哈はニッコリ笑うと、銀を見せるために若虚と張大と楮中頴を奥へと招じ入れた。
「あとのお方はここで待っとってつかあさい」
 と言い残すと、四人で奥へ消えて行った。
 残された人々はすることもなく、若虚の幸運についてあれこれ言い合っていた。
「こないなことってあるんかいな?ええっ?わてもあの島に上陸しとればなあ…。どえらい宝物を見つけとったんになあ。残念でしゃあないわ」
 と誰かが言えば、
「何言いよるんな、こないなどえらい幸運にかなう者なんておらへんわ」
 と誰かが答える。こういう具合に皆が羨んでいるところへ、若虚と張大、楮中頴の三人が奥から出てきた。
「なあ、どないな?」
 と尋ねる一同に張大が答えた。

 

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