商いの心得(十四)


 

 宝哈は亀の甲羅について説明を始めた。
「龍に九種類あるのはご存知じゃろう。その一種に大亀の姿をしとるが一万歳になると殻を脱いで龍になるのがおるんです。この殻には二十四本の肋骨があっての、それぞれ天の二十四気に応じとります。肋骨の間には大きな珠が一つずつ付いとるのですが、これは肋骨が完全に揃っとるからできるもんです。もしも肋骨の揃わん内に捕えてもせいぜい太鼓の皮を張るくらいしか役に立たんのです。じゃけんど、いつ何時、肋骨が揃って珠ができとるかなど誰にも見当は付きません。どこにいるかわからないこやつを見張るなんて誰にもできんもんです。ましてや一万歳の寿命の尽きるのを待たんとならんのですけん」
「ひゃあ、あの甲羅はそないにどえらい物やったんかい?そないな物を見つけるなんて文先生はごっつい強運の持ち主やなあ」
 と誰かが言った。
「文の旦那と出会うたワシの運こそ大したもんじゃ。価値を知っとっても、それだけじゃけんのう。殻は何の役にも立たんけんど、珠の方は全部夜光珠での、値段なんて付けられんほどじゃわ」
 瑪宝哈はそう言うと奥へ入って行った。しばらくするとニコニコ顔で袖を大事そうに抑えながら出て来た。
「皆さん、見てやってもらいましょか」
 そう言って袖の中からキャラコの包みを取り出した。包みを開くと真綿の固まりが出てきた。瑪宝哈は黒い漆塗りの盆を引き寄せて、その上で真綿をはずした。すると一寸大の夜光珠が転がり出てきた。パアッと部屋の中が明るくなったように感じられた。一同これにはビックリである。こんな珠があと二十一個もあるのである。驚くのも無理はない。
 瑪宝哈は一同に向き直った。
「皆さんにはお手数掛けましたのう。この一粒だけでもワシの国では大したもんになりますけん。一粒でも五万両なら安いくらいじゃわ」
 一粒五万両には驚いたが、もう契約も済ませてしまったので言を翻すわけにもいかない。しかし、何だか損をしたような気がしてきた。瑪宝哈は一同の顔色に悔悟の念をにじませているのを見ると、珠を急いで奥へしまいに行った。再び出てきた時には緞子の詰まった箱を担いだ手代と一緒であった。箱を開けると、若虚以外の各人に緞子を二反ずつ贈って言った。
「いやあ、あんた方にはお手数掛けましたけんのう。これで着物でも作ってもらいましょか。ささやかながら、お礼の代わりにさせてもらいますわ」
 また、袖の中から小さい珠を連ねた物を十本取り出した。それを一本ずつ送って、
「これでお茶でも飲んでもらいましょ」
 続いて若虚にはやや大きめの珠を連ねた物を四本と緞子を八匹贈った。
「着物でも作ったらええですけん」
 若虚も皆も思わぬ贈り物に大喜びで礼を述べた。実際、瑪宝哈にとって少々の緞子などお安いものだった。
 瑪宝哈は一同と共に若虚を反物屋に送って行った。反物屋の使用人を呼び集めると、若虚に引き合わせた。
「今日からこの人がお前らの旦那様じゃ。しっかり働きんさいや」
 そして瑪宝哈は自分の店へ戻って行ったのであるが、別れ際に、
「ワシの店にもちょいちょい遊びに来てくださいのう」
 と言い残していった。しばらくすると、数十人の人夫が何やら重たそうな桶や箱を運んで来た。全て若虚名義の封印がしてある。瑪宝哈が甲羅の代金として支払った四万五千両である。他に手数料の一千両の箱もあった。若虚はそれを人夫に命じて奥まった寝室にしまい込ませると、張大等の前に姿を表した。
「皆さん、おおきに。全部、皆さんのお陰ですわ」
 そう言うと船から持って来た荷物を開いた。中には洞庭紅を売って儲けた銀貨が入っていた。まず、各人に銀貨を十枚ずつ贈った。それから、出発の際に銀子を工面してくれた張大と二、三人には余分に十枚贈った。
「ほんの気持ちです」
 また、何十枚か銀貨を取り出すと張大に渡して言った。
「張はん、お手数やけど船に残った人らに分けてやって欲しいんや。一枚ずつお茶代や言うて渡しといてや」
 それから改まった表情で、
「わてはここに残りますわ。まあ、先で蘇州には戻ることもあるやろうけどな。色々お世話になりましたなあ、ここでお別れですわ」
 と別れを告げた。その時、誰かが、
「ほな、あの手数料を分けなあかんな。一千両もあるで。文先生に分けてもろたら文句も出ないんちゃうか」
「アイヤッ!すっかり忘れてしもたわ」
 若虚は笑いながら寝室へ手数料の一千両を取りに行った。皆の前で箱を開けて中身に手を付けていないことを確かめてから、どのように分配するか相談した。結論はこうであった。まず、百両は船に残っている連中に祝儀としてやり、残りの九百両を十二人分に分けて分配するのである。張大と楮中頴はそれぞれ筆頭保証人、契約書の代書人と言うことで二人分貰えることになった。
 一同大喜びで、もちろん文句の出ようはずもない。よかった、よかった、と言い合う中で誰かが口を開いた。
「よう考えてみると、あの波斯人が一番大儲けしたわけやなあ…」
「どないしたんな?」
「いやな、文先生もここで騒げばもうちいと波斯人に金を出させることができたんになあ思うて…」
 若虚が引き取って言った。
「人は足るいうことを知らなあきまへん。以前のわては目の出ん男で、何をやっても失敗ばかりしてましたわ。それがここに来て、こないなどえらい運に恵まれました。もしも、あの波斯人が目利きでのうたら、あの亀の甲羅は蘇州でわての寝台になっとりましたわ。人にも物にも時の運いうものがあるんです、きっと。運には背いてはあきまへんわ」
「なるほどなあ、足るいうことを知っとるから、先生は成功したんやなあ。これは見習わなあかんな」
 皆は若虚の言葉に納得し、何度も礼を述べた後、船に戻って行った。

 福建に残った若虚は家業を起こして指折りの豪商として栄えた。美しい妻を娶り、子供にも恵まれ、家庭生活も順調であった。その一生の間に一度だけ蘇州に戻ったが、張大等昔なじみと会っただけですぐに福建に戻って行った。
 若虚は常々家族や使用人にこう戒めていたという。

「足ることを知れ、時の運に従え」

(明『初刻拍案驚奇』)

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