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十三郎と阿霞(二)


 

 虎は暇を見つけては晁家にやって来て金をせびった。豫が金を出ししぶると、机を叩いて脅し文句を並べるのである。これだけで臆病な豫は震え上がり、言われるままに金を差し出すのであった。
 その日は阿虎の虫の居所が悪かったのか、殴リ飛ばされて壁にしたたかに体を打ち付けた。
「何だあ?その顔は。おい、この老いぼれ犬、てめえ、オレに金を払ういわれなどないと言いたそうだな。オレは虎だぞ。虎は人を食う。別段、人が虎に借りがあるから食われるわけじゃねえ。食われる運命にあるだけなんだよ。てめえもそこんとこ聞き分けられるなら、とっとと金を出せ。何ならあばらの一本や二本折ってやろうか?さぞかし風の通りがよくなるだろうよ」
 こう滅茶苦茶な理屈を並べ立てて、阿虎が腕を振り上げて豫にもう一発食らわせようとした時、豫の妻である魏氏が飛び出して来て取りすがった。魏氏は髪に挿していた簪を抜くと、阿虎の懐に押し込んだ。
「フン、酒手にはとうてい足りねえが、まあ、貰っとくぜ」
 ようやく阿虎は立ち去った。
 入れ替わりに塾から戻ってきた十三郎は、近所の話から父が阿虎に殴られたことを知った。彼は集まった人々に向かって、怒りのあまり涙を流しながら訴えた。
「父がおとなしいばかりに、阿虎などという悪党にひどい目に遭わされております。天もご覧じよ。ああ、何で皆さんは見ていながら、助けてくれないのです?」
 すると長老格の老人が進み出て、
「お前さんの父御が最初に弱みを見せたのが悪いのじゃ。他の者は毅然(きぜん)とした態度をとっておるからの。まあ、お前さんもあまり事を荒立てぬようにな。まだ子供なのだからどうしようもあるまい」
 十三郎は手にした筆箱を投げ出すと、
「阿虎め、殺してやる!!」
 と言うなり、今にも飛び出して行きそうな勢いで地団駄を踏むのであった。これには一同驚きもし、またおかしくもあり、思わず吹き出してしまった。誰一人まじめに受け取ろうとせず、
「まあまあ、落ち着いて。相手は虎だよ。生まれたての子牛のようなお前さんに一体何ができるというんだね。それこそ食い殺されてしまうよ」
 などと子供扱いをするのであった。十三郎は怒りに顔を紅潮させたまま駆け出した。彼の足は自然に阿霞の家へ向かった。
 ちょうど、阿霞は門扉に寄りかかって表通りを眺めているところであった。十三郎は周囲に人がいないのを確かめてから、自分の苦衷を吐露し、涙を流した。阿霞はあまりにも突然のことに目を丸くしていたが、その悲嘆ぶりにいたく同情し、言葉を尽くして慰めた。
「お戻りになって少し休まれるのがよろしいですわ。そんなくだらない輩と争おうなどというお考えは捨てるのです。今はご勉学に専念なさるのが一番です。そうすればいつの日か恥辱をおすすぎになることもおできになりましょう」
 すると、十三郎は首を横に振って、
「じっとなんてしていられない。こんな時に言うのも何だけど、僕は君のことが好きで好きでたまらないんだ。君を手に入れられるのならこの命を捨ててもいいと思っている。だけど、これでお別れだ。僕は決めたんだ。あの阿虎を殺してやる。たとえ刺し違えてでもやってやる。最後に君とこうして話ができたんだから、もう思い残すことはないや」
 そう言って泣くのであった。これには阿霞も驚き、
「まあ、気でもお違いになったの?今は何を言っても無駄のようですわね」
 そして、奥へ引っ込んでしまった。十三郎はもその後を追って行きたかったが、さすがにそれはできかねて思い直して家に戻った。以来、彼は時には独り言を言い、時には辺りを徘徊(はいかい)するという具合で、その行動には目立って奇妙なところが多くなった。母は息子が重い心の病に罹ったと思い、憂悶の色を濃くしていったのである。

 それからしばらく経ったある日のことである。またもや阿虎がやって来た。ちょうど豫は従業員と売上金の計算をしているところであったが、阿虎の姿を見るなり逃げ出そうとした。阿虎はその襟首を掴むと、
「ちぇっ!ケチな犬コロめ。てめえ、オレの悪口を隣近所に触れ回ってるらしいじゃねえか。だからって何だってんだ。ええ?近所の奴らがてめえを助けてくれるってのかい?」
 豫はただ震え上がるだけであった。阿虎は売上金の方に向かって顎をしゃくって見せた。
「おい、今日はそこの有り金全部いただいていこうじゃねえか」
 豫が思わず首を横に振ると、阿虎は声を荒げて、
「何?寄越さねえだと?なら、寄越すと言うまで離しちゃやんねえぜ」
 と言いざま、拳を二、三発食らわせたのだからたまったものではない。豫は豚の殺されるような声を上げた。従業員は主人の命乞いをし、妻の魏氏も取りすがって泣き叫んだ。騒ぎを聞いて駆けつけた近所の者も懸命に取り成したため、阿虎もようやくその手を離した。
 その時である。突然、阿虎が血を吹いて倒れた。そこには十三郎が血に染まった小刀を手に握り締めて立っていた。
「思い知ったか!この悪党!!」

 

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