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 陵郡(注:現在の広西地区)太守史満に娘がいた。その娘が父の部下である書記の一人を見初めた。娘の部屋は中庭の奥にあり、書記は毎朝、洗面の時に残った水をその中庭に捨てに来ていた。それで娘の目に留まったのである。
 見初めたからと言って言葉を交わすわけでもなく、ただ毎朝、水を捨てに来る書記の姿を眺めるだけであった。娘は毎日、書記の姿を眺めてはため息をついていた。
 娘は書記のことを思い続けた。思い詰めた。お側に寄りたい、それができないのならせめて身に付けた物に触れたい、どんなものでもいいから…。

「あの方のお捨てになる水を貰っておいで」
 ある日、娘は腹心の小間使いにこう命じた。小間使いは適当な理由をつけて水を捨てに来た書記から盥(たらい)を借りると、娘のもとに持ち帰った。娘はしばらくの間、盥を眺めていたが、底にわずかに残っていた水を掬うと飲み込んでしまった。それから三ヶ月後、娘は自分が身ごもったことを知った。

 十月十日が満ち、娘は男の子を産み落とした。母は嘆き、父は娘を詰った。子供の父親の名前を聞き出そうとしたが、これは娘自身にもわからないことであった。
 子供が満一歳を迎えて伝い歩きできるようになった頃、史満は孫を抱いて書記達の詰め所へ出向いた。この中に子供の父親がいるだろうと見当をつけたのである。書記達は勤務中で、筵(むしろ)に坐って書類に向っていた。子供は祖父の懐から下りると、書記の一人に向ってよちよちと近付いて行った。それは中庭に水を捨てに来ていた書記であった。
 子供は書記の懐にしがみ付いた。驚いた書記は思わず、子供を押しのけた。子供はよろめいて地面に倒れた。

 不思議なことに子供の姿は消えていた。子供が倒れた地面には、水溜まりが一つ残されているだけであった。

(六朝『捜神記』)