無常酔酒(三)


 

 の日以来、毛兄弟の居酒屋に髭の白い老人が現れるようになった。その老人は長い上着を引きずりながら、小さな酒甕を背負って毎日店にやって来た。もちろん、酒を飲みに来るのであるが、不思議なことに一日にきっかり酒代八銭分しか飲まなかった。カウンターの前に立って一息に飲み干すと慌ただしく立ち去るのである。このようなことが半年余りも続いた。
 この老人が現れるようになってからというもの、あれほど繁盛していた毛兄弟の居酒屋の売上は落ちていき、年末になると金庫には廟に奉納する紙銭の灰が積もっていた。兄弟にはこの灰がどこから来るものか見当が付かなかった。
 その日も例の老人が酒を飲みにやって来た。老人はいつものように一息に酒を飲み干したが、この日はそのまま立ち去らず、背中からごそごそと酒甕を下ろして毛二に渡した。
「これに酒を注いでくれんかいのう」
「どんくらいお入り用ですか?」
 そう問う毛二に老人はこう答えた。
「満タンじゃ」
 言われて毛二は酒を注ぎ始めたのだが、どれだけ注いでも酒甕は満タンにならない。百斤(注:一斤は約500グラム)も入ろうかという大甕がほとんど空になっても、酒甕の酒はまだ半分にもならないのである。この様子を見ていた毛大の心中に疑惑が生じた。どうもこの老人と関わりを持つと厄介なことが起こる。適当に因縁をつけて追い払うのが得策ではないか?そこで、もみ手をしながらにこやかに老人に近づいて言った。
「毎度ありがとうございます。まずは酒代を先払いしてもらわんといけんのんじゃが」
 老人は笑いながら、
「十両(注:一両は40グラム弱)の銀子でどうじゃろう?」
 と言って真っ白な銀塊を取り出した。老人から受け取った銀子の重さを毛大が手で確かめてみると、何だか軽く感じられた。このくたばりぞこないの老いぼれめ、奇妙な手妻を使ってうちの身代を食いつぶしつもりじゃな、と思うと腹立たしくなった。老人の方を見ると、ノホホンとした様子で酒の来るのを待っている。その時、毛大の頭に何やらひらめいた。彼は銀塊を持った手を高く差し上げると、大声で叫んだ。
「おおい、皆さん、聞いてくれんかい。この爺さんはニセ銀で人を騙そうとしちょるわ!」
 ニセ銀と聞いて、店内の客達はワラワラと集って来た。そして、その銀を手にして重さを確かめるのだが、彼らにはそれが本物同様に重く感じられた。
「本物みたいじゃけんど」
皆、口々に言い合った。老人はニヤニヤ笑いながら言った。
「心にやましいところがなきゃあ、何が起こってもでんと構えとられるもんじゃろう。さて、お前さんは何をそんなにビクビクしちょるんかね」
 毛大は老人を辱めるつもりで「ニセ銀だ」と騒いだのが、却って自分が恥をかく羽目になってしまい、ぐうの音も出なかった。老人はなおも笑って言った。
「ワシは十両の銀子で酒甕一つ分の酒を買おうとしとるだけじゃ。決して買いたたいとるわけじゃないと思うとるがね。毛大よ、無駄口叩く暇に、さっさと酒を注いでくれんかの。ワシは急いどるけんなあ」
 毛大は返す言葉もなく、ただ、皆の嘲笑の中でひたすら酒を注ぐしかなかった。毛二は小僧に命じて奥から酒甕をどんどん運んでこさせた。しかしそれらを全部空にしても、酒甕は満タンにならなかった。店内の酒も尽きてしまい、最後にはこの居酒屋の神棚に供えてある酒も下ろして注いだ。そうして、ようやく満タンになった。その時にはすっかり夜になっていた。
 老人は懐からもう一つ銀子を取り出すとカウンターに置いた。そして何杯か酒をあおると、悠然と立ち去った。
 毛大は弟に何やら耳打ちして店を抜け出した。気付かれぬよう、そっと老人の後をつけた。夜店の人込みに紛れてつけて行くと、老人の姿は城隍廟の前でかき消すように見えなくなった。慌てて毛大が飛び出して周囲を見回したが、老人の姿はどこにもなかった。
 廟の前に突っ立ったまま、しばらく首をひねっていたが、その時、どこからともなく漂ってくる酒の匂いに気が付いた。酒の匂いは廟の中から来た。その匂いを辿っていくと、祭壇にたどり着いた。祭壇の上では白無常の像がニヤけた笑いを浮かべてこちらを見下ろしていた。その全身を酒の匂いが漂ってくるのである。
「あっ!」
 毛大は全てを悟った。あの老人はこの白無常が化けたものだったのである。呆然と立ちつくす毛大であったが、しばらくすると猛然と腹が立ってきた。そこで釘を探してくると、白無常の像の足を祭壇に打ちつけた。
「動こうっちゅうなら動いてみんかい!」
 毛大が家に戻ると、毛二がカウンターの前にしゃがみ込んでいた。カウンターの上には老人の置いていった銀子があるはずであったが、そこには紙銭の灰が残っているだけであった。

 毛大毛二兄弟の居酒屋はこうして潰れた。二人は落ちぶれて乞食となり、街中で物乞いをしてその日をしのぐようになった。間もなく、兄弟は街路でのたれ死んだ。その額には、

「他人の財産を奪おうとして人をあやめた者の末路」

 と刻印されていたという。

(『鬼城伝説』より)

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