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小麦粉


 

 の開元年間(713〜741)のことである。
 彭城の劉甲という人が河北の知県に任じられた。家族を連れて任地へ赴く途中、山間の旅籠に宿をとった。劉甲の妻は絶世の美女で、これを見た旅籠の主人はこう言った。
「この地には神がいて、美女と見ればさらっていきます。今までにここを通りかかった者の多くが被害にあっております。どうかお気をつけ下さい」
 劉甲はこの忠告を受け入れ、家人とともに妻を護衛して寝ずの番をすることにした。その際、劉甲は妻の顔と体に小麦粉を塗りつけておいた。
 一同、武器を手に虚空をにらんで見張っていたが、五更(注:朝四時)を回っても何事も起こらない。劉甲は家人に武装を解くように命じ、
「鬼神が何かしかけてくるのは夜中と決まっている。もう夜明けも近いし、今さら何も起こるまいて」
 そう言ってやすむことにした。
 妻が姿を消したのはそれからまもなくのことであった。一同、泥のように眠りこけていたので、誰一人、そのさらわれたことに気がつかなかった。

 劉甲は村人を雇って妻の行方を捜させることにした。村人は手に手に棒を持って旅籠に集まると、妻の残した痕跡をたどった。劉甲があらかじめ塗りつけておいた小麦粉が妻の行方を指し示していた。
 小麦粉の跡は旅籠の窓から塀の東側にある古い塚まで続いていた。塚の上には大きな桑の木があり、その根元に小さな穴があった。小麦粉の跡はその穴の中へ消えていた。
 劉甲は村人を指揮して桑の根元を掘り返させた。一丈余りも掘ると突然大きな洞(うろ)が現れたのだが、まるで邸の棟を連ねたような観があった。中には年老いた狐が一匹、立派な机に向って坐っており、その前には十数人もの美女が二列に並び、楽器を手に歌っていた。それは今までにさらわれた女達であった。傍らには小狐が数百匹も群れていた。
 村人は狐を皆殺しにした。

(唐『広異記』)