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霍小玉伝(一)


 

 の大歴年間(766〜779)のことである。隴西(ろうせい、注:現在の甘粛省)に李益という人がいた。二十歳で進士(注:科挙の予備試験の合格者)となり、その翌年には官吏登用試験を受けるために長安へやって来た。李益は名門の生まれで、若いながらも才覚に富み、その詩文の腕前は当時並ぶものがないと称せられていたほどであった。彼自身、風雅の才を恃(たの)んで美しい女性を手に入れようと志を立て、名妓の評判を聞くと会いに行くのだが、これはという女性に巡り会えないでいた。
 さて、長安に鮑十一娘(ほうじゅういちじょう)という仲人婆がいた。もとは帝の娘婿の薛(せつ)家の下女であったが、自由の身になってからこの商売を始めてすでに十年余りが過ぎていた。利に聡く、口がうまく、名門貴戚(きせき)で出入りしていない家はなく、仲間内からも一目置かれていた。鮑は李益の所にも出入りしており、彼の意向を承知していた。

 李益が長安に滞在するようになって数ヶ月経ったある日のことである。彼が家で退屈していると、突然門を叩く者がある。
「鮑十一娘でございます」
 と名乗った。李益は鞋をつっかけて迎えに出た。鮑はニコニコ笑いながら入って来て、
「よいお知らせですよ。仙女が一人、下界に流されておりましてね、お金はいらない、風雅を解する人 がいい、と言っているんですって。これこそ若様にうってつけのお相手ですわね」
 と告げる。李益はこれを聞くと跳び上がらんばかりに喜び、鮑の手を握って言った。
「よくぞ探してくれた。僕は一生、あんたの下男になってもいいや。死ねと言われれば死んでも…死んだらその仙女に会えないからそれは無理かな。で、どこの誰なの?」
 鮑は得たりとばかりに説明を始めた。
「歴とした血筋のお方ですよ。先ほどお亡くなりになられた霍(かく)王様のお姫様で、小玉(しょうぎょく)様とおっしゃいます。王様はいたく可愛がってらっしゃいました。お母様は浄持(じょうじ)様とおっしゃって、ご寵愛の腰元です。王様が亡くなられた時に、ほかのご兄弟衆が妾腹の子だということで、わずかな財産を与えて追い出してしまわれたんです。今では鄭と改姓されたので、どなたもこの方が霍王様のお姫様だなんて知りません。まあ、あでやかで物腰も穏やか、血は争えないというものでしょうかね、どんな女もかないませんよ。それに音楽に詩、学問、何でもござれってもんですわ。この方から先日、どなたかいい人がいらっしゃらないかと頼まれましてね、そこで若様のお話をしましたら、ご存知でしたよ。お宅は勝業(しょうぎょう)坊の古寺の角を曲って最初の車寄せのある家です」
「是非、会いたいんだけど、話をつけてもらえないかな」
「そうおっしゃると思って、もう約束をしておきました。明日の正午、お寺の角までいらして下さい。迎えの者が出ております」
 鮑が帰ると、李益は早速準備を始めた。風流人を自認する李益にとって前日になって準備を始めるのはいささか出遅れの感があったが、とりあえず下男を従兄の所へ使いに出して黒毛の馬と黄金の轡(くつわ)を借りてこさせた。その夜は風呂に入って髪と身体をいつもより念入りに洗い、明日着る着物を選んだ。それから寝ることにしたのだが、興奮して眠れない。睡眠不足だと肌が荒れるので懸命に眠ろうとするのだが、焦れば焦るほど目はギンギンに冴えてしまうのであった。夜が明けると早々に起き出して入念に着付けを済ませ、頭巾(ずきん)を被って鏡の前でためつすがめつするのだが、どこか野暮ったいような気がしてどの被り方も気に入らない。このままでは相手に気に入られないかもしれない、などと柄にもなく不安になった。そうこうする内に約束の刻限になり、慌てて馬に飛び乗ると真っ直ぐに勝業坊へと向ったのである。
 約束の場所では一人の下女が待っていた。
「李の若様ですか?」
 うん、と答えて馬から下りた李益はそのままそばの屋敷に引っ張り込まれた。鮑が奥から出て来て笑って、
「どこの若造かね、いきなり飛び込んでくるなんて」
 と言う。李益も冗談で応酬(おうしゅう)しながら、その後について奥へ入った。庭には四本の桜桃が植えられ、隅に鸚鵡(おうむ)の籠がかけられている。鸚鵡は李益の姿を見るなり、
「誰か来た!早く御簾を下ろして!!」
 とやかましく叫んだ。李益は元々おとなしい性格なので、鸚鵡の声を聞くとびっくりして足がすくんでしまった。そこへ鮑に連れられた浄持が庭に下りてきた。李益と挨拶を済ませると客間へ案内して、向かい合って坐った。浄持は年は四十余りだが、まだまだ美しく、話す言葉にも色気があった。李益に、
「日頃から若様のお噂は聞き及んでおります。今こうして実際に雅なご様子を拝見いたして、お噂にたがわないことを知りました。私に娘が一人ございます。至らぬ点も多いと思いますが、容貌はさほど醜くありません。若様にお仕えすることができましたなら、これほど嬉しいことはございません。常々、鮑さんから思し召しをうかがっておりました。どうぞ、末永くお側に置いてやって下さいませ」
 と言うのであった。浄持は一方で酒宴の用意を命じ、腰元に小玉を呼びに行かせた。

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