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手紙


 

 の元和(806〜820)年間のことである。

 呼延冀(こえんき)という役人が妻を連れて任地の忠州(注:現在の四川省)へ赴く途中、追剥に出くわした。身ぐるみ剥がれてしまい、辛うじて命だけは落とさずに済んだ。助けを求めて人家を探してさまよう内、一人の老人と出会った。問われるままに自分達を襲った災難を話すと、老人は痛く同情して一夜の宿を提供しようと申し出た。老人に付いて街道筋の林の中に入ってしばらく行くと、一軒の大邸宅が現れた。
「ここじゃよ」
 老人は夫婦のために着物と食事を用意してくれた。夜には酒肴の並べて、呼延冀夫婦と語り合った。老人は言った。
「ここから忠州まではまだまだありますぞ。奥方を連れて行くのは難儀なことじゃろ。うちには婆さんしかおりませんでの、もし、奥方を連れて行くことができんのなら、うちにおってもろてもよいのじゃが。向こうに着いてから改めて奥方を迎えに来ればいいじゃろう。見たところ、お前さんはかなりお困りのようじゃ。今回は盗られる物があったから良いようなものじゃが、次はわからんぞ。特にこんなに若くて綺麗な奥方を連れておいでなのじゃからなあ」
 老人の言葉を聞いて冀はしばらく考えた。考えを決めると席から下りて老人を拝し奉った。
「ご老体のお心遣いありがたく存じます。謹んでご好意に甘えさせていただきます。実は私も家内のことでは気掛かりなことが多うございまして…。家内は元々は宮中の歌妓なのです。そんなわけで歌だけでなく、文章も少々こなせます。ただ、酒が好きで奔放なところもありまして、それが心配なのです。ここに置いていけば、ご老体にしっかり監督していただけますし、私も安心できるというものです」
 老人は笑って請け合った。
「それなら心配はありませぬぞ。安心してお行きになって結構じゃ」
 翌朝、冀は一人で忠州に向けて出発した。出発に際して妻は冀の手を取って泣いた。
「私は貴方に付いてここまで来たのに…。どこまでも付いて行くつもりでしたのに…。貴方は私を置いて行くのね。貴方、貴方、必ず迎えに来て下さい。もしお出でにならなければ、ここを逃げ出してやりますから。この広い世間ですもの、こんな私でもいいとおっしゃる方はいるはずですわ」
 ひとしきり泣いた後、夫婦は別れた。
 男の一人旅なので、忠州までの道のりは頗る順調であった。冀は一日も早く妻を呼び寄せようと思っていたのだが、雑事に追われて中々果たせなかった。

 そんなある日、一通の手紙が冀のもとに届いた。妻からであった。手紙にはこう書かれていた。

 私、自分の心を貴方に知っていただくつもりでこの手紙をしたためました。最後まで読んで下さいませ。
 私は宮中の歌妓でございました。幼い時から宮中で育ち、歌舞の妙技を取り柄とし、婦徳などとは無縁の身の上です。たまたま帝の命で宮中から選ばれて民間に嫁ぐことになりました。その時です、貴方とお会いしたのは。
 あの頃の貴方はお若うございました。酒に任せて詩をお詠みになるお姿、素敵でした。そう、私の隣にお坐りになったのです。私は晴れて自由の身でした。貴方は自由奔放で、私のような身の上の者に礼節を尽くして下さいました。人並みに婚礼を挙げて私を迎えて下さったのですから。
 思えば、私と貴方はお似合いの一対でした。皆さん、才子佳人だとおっしゃって下さいました。いつも一緒に花の間をさまよい歩き、二人並んで月を眺め、紅楼での語らい、奥殿で交わす誓いの言葉…。いついつまでも一緒にいられると思っておりました。まさか、お別れすることになるなんて。
 ほんとに悲しいことですわ。貴方は私を破れ鞋のようにさっさと捨ててしまわれた。こんな荒れ野に置いていくなんて。寂しくて堪りません。
 貴方がおいでになってから、私の涙の乾く時はありませんでした。貴方の薄情を恨んで恨んで恨み続けたんですのよ。どうしてこんなに簡単に夫婦の情誼を断ち切ってしまわれたのでしょう。
 貴方が私を置いていったご老人には若い息子さんがおいででした。その方が、私のことを心から慕って下さいます。私も寂しさに耐えかねて、そのお心にお応えいたしました。
 このことを貴方に知っておいていただきたいのです。

 読み終えた冀はカッとなって、手紙を破り捨てた。すぐさま職務を放り出すと、老人の邸に向けて旅立った。老人と妻の二人を殺すつもりだったのである。
 見覚えのある街道筋の林の中に入って老人の邸を探したが、邸は跡形もなく大きな塚があるだけであった。塚を掘り返すと、土の中から妻の遺骸が出てきた。
 遺骸は別れた時のままの服装であった。

(唐『瀟湘録』)