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許偏頭


 

 都に許偏頭という絵師がいた。許が姓なのだが、偏頭は本名ではない。いつも頭をかしげているので、そう呼ばれていた。許絵師の頭がかしげるに至ったのには不思議な経緯(いきさつ)があった。

 許絵師はさる道観の門前に画廊を開いていた。すでに絵師としての腕前は認められ、その描く絵は神髄を伝えるとの評判であった。
 ある日、その画廊を一人の男が訪ねてきた。年は四十ばかりで襤褸(ぼろ)をまとい、いかにも憔悴(しょうすい)しきった様子である。荷物といえば、背中に負った小汚い頭陀(ずだ)袋が一つきり。この見るからに貧相な男が、自分の肖像画を描いてくれというのである。許絵師はあざ笑って言った。
「そんな格好で絵を描いてもらいたいというのかい。して、代金は払えるんだろうね?」
「金なら払えん。ただ、絵師殿の筆の確かさを耳にして来ただけだ。まあ、そう言わないで」
 そう言いながら頭陀袋を開いて黄色い道服を一式取り出した。続けて取り出したのは鹿皮の冠に白玉の簪(かんざし)である。許絵師の見ている前で着替え、最後にそそけ立った白髪混じりの髭を手でしごいた。不思議なことに髭はしごくにつれ、黒く長く豊かになった。許絵師の前には立派な美丈夫が立っていた。男が常人でないと悟った許絵師は慌てて非礼を謝した。
「神仙のご降臨とは存じませず、戯言(ざれごと)など申しまして慙愧(ざんき)にたえません。平にご容赦を」
 道人は笑って、
「君は私の肖像画を画廊に置きさえすればいいのだ。必ずその価値のわかる者が現れるだろう。もし欲しいという者が現れたら、複製を描いて一千銭の値で売りなさい。それ以上は駄目だよ」
 許絵師は恭しくその肖像画を描いた。絵が仕上がると、道人は袋を担いで出て行った。許絵師は跪いて見送ったのだが、顔を上げた時にはもうその姿は見えなくなっていた。
 許絵師が仕上がった絵を自分の画廊に置いたところ、間もなく物のわかった人物が現れ、
「これは霊泉(れいせん)の朱真人を描いたものですな」
 と教えてくれた。それからは買い取りたいという者が日に十数人も現れた。朱真人の肖像画は飛ぶように売れ、許絵師は日ましに富んでいった。後には儲けを貪るあまり、値を二千銭までつり上げた。
 ある晩、夢に朱真人が現れた。
「そなたの福運には限りがあるのだ。だから、必要以上に値をつり上げてはならぬと忠告したのだぞ。どうしてワシの言うことに従わず、いたずらに早死にしようとするのだ?」
 そう言って、許絵師の左の頬を平手で打った。そこで目が覚めたのだが、不思議なことに頭がかたむくようになっていた。これより許絵師は「許偏頭」と呼ばれるようになった。

 慶暦年間(1041〜1048)に許絵師は亡くなった。八十余歳であった。

(宋『括異志』)