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まぶたの妻


 

 吉(しょうきつ、注:現在の新疆ウイグル自治区)の流人に彭杞(ほうき)という人がいた。彭杞には十七歳になる娘がいたのだが、これが母と共に病床に臥す身となった。母の方は先に亡くなり、娘の病状も日に日に重くなるばかりであった。
 父親の彭杞はお上の田畑を耕さねばならず、娘の看病をする暇などなかった。そこで娘を林に放置して、死ぬに任せることにした。苦しがる娘の様子に近隣の者は哀れみを禁じえなかった。
 見るに見かねた同じく流人の楊喜は彭杞を詰った。
「あんたは何て残酷なんだ。自分の娘なんだろう?よし、俺がお宅の娘さんを連れて帰って看病する。亡くなったら葬ってやるし、もしも助かれば、その時は俺の女房にするぞ」
「いいだろう」
 彭杞は娘を嫁がせる契約書を作成して楊喜に渡した。楊喜は娘を連れ帰り、できる限りの看病をしたのだが、それは病状の進行を遅らせただけであった。楊喜の家に引き取られて半年後、娘は危篤に陥った。その臨終の床で娘は楊喜に言った。
「楊様、あなたには感謝しております。あなたは私を娶ってくださるとおっしゃい、父もそれを許しました。だから食べることから寝ることまですべてあなたのお世話になりましたわ。つらいと言えばあなたは私の背を撫でてくださった。しかし、病み衰えた身では、一度もあなたのお床に侍ることができなかったこと、申し訳なく思っております。死後も魂魄(こんぱく)が残るのなら、私、きっとあなたにご恩返しをいたしましょう」
 そして、顔を覆って嗚咽(おえつ)した。その泣き声がふいに止んだので、助け起こしてみると、すでにこと切れていた。楊喜は泣き泣き妻の礼で娘を葬ったのであった。

 以来、楊喜は毎晩同じ夢を見るようになった。亡くなった娘が現れて床をともにするのである。娘は病みやつれた様子もなく、若々しい美しさにあふれていた。目覚めた後も楊喜の手には娘を抱いた感触が残っていた。楊喜は娘が臨終に言い残した言葉を思い出し、もしや魂魄が近くを漂っているのではと思い、闇に向って呼びかけた。しかし、返事はなかった。
 目覚めている時に娘が姿を現すことはなかったのだが、楊喜がひとたびまぶたを合わせると必ず現れて体を重ねてきた。一度、楊喜は夢の中で、どうして姿を現してくれないのか、と娘に懇願した。すると、娘はこう答えた。
「生者は陽に属し、幽鬼は陰に属するものです。陰が陽を侵すので、幽鬼は人に害を与えると言われるのです。ただ、眠りについている生者は陽の気を出さず、陰に属します。ですから幽鬼と会い、話すことができるのです。それに心が交わるだけなら何の害もないんですのよ」
 この不思議な交わりは四年間続いたという。

(清『閲微草堂筆記』)