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洋行異聞


 

 九世紀も半ばを過ぎると、中国も国際外交に参加するようになり、諸外国へ公使を派遣した。風俗、習慣の全く異なる外国へである。笑い話の一つや二つあっても不思議ではなかった。

 欧州へは大型客船で行く。船には立派な化粧室がしつらえられているのだが、もちろん男女別で間違うことなど許されない。もっとも欧州諸国の男性は短髪にズボン、女性は結髪してスカート姿なので、容易にその区別がつくのだから、間違えようもないのであるが。
 ここでは名前を伏せるが、某という官吏が公使の随員として欧州へ赴くことになった。この某、色白く、女にも見紛うばかりの美男子であった。本人も己の美貌を十分に意識しており、身だしなみにことのほか気を使っていた。毎日、髭をきちんと剃り、いつも女のようにツルリと手入れされた肌をしていた。
 ある日のことである。某は化粧室へ入った。もちろん紳士用である。化粧室には先客がいたのだが、これが某のことをてっきり女だと思い込んだ。色白でスベスベの肌に赤い唇、背には長い艶やかな三つ編みを垂らしているのだから無理もない。ましてや外国人の目には、中国人の服装の男女の区別などわからない。先客は某のことを間違えて紳士用の化粧室に入ってきた中国婦人だと思った。
「ご婦人用はあちらですよ」
 先客は慇懃(いんぎん)に某の手を引いて婦人用の化粧室へ案内までしてくれた。
 さて、婦人用の化粧室にも先客がいたのだが、某のことを見知っていた。こともあろうに中国公使の随員が婦人用の化粧室に案内されてきたのだから大爆笑である。
「まあ、あなたは女性だったの?それとも噂に聞く宦官(かんがん)とかいうものかしら。宦官はちょっと見には女性とそっくりなんですってね。もし本当に女性ならば、中国は進んでるわね。欧州では最近、女性に選挙権を与えようという運動が盛んになってきたのだけど、実現はまだまだなのよ。なのに、中国にはもう女性の外交官がいたとは。これは一つ船の婦人連であなたの歓迎会を開かなくっちゃ」
 こうまでからかわれて、某は穴があったら入りたい思いであった。よほど恥ずかしかったのか、それから数日間、化粧室に行かなかったほどである。
 赴任先である公使館に入ってからの某には大きな変化が見られた。突然髭を生やし始めたのである。

 今ではすっかりむさ苦しくなり、かつての面影はなくなってしまった。

(『清朝野史大観』)