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銀の耳飾り


 

 の崇禎(すうてい)十三年(1640)のことである。

 山東諸州ではここ数年来の旱魃(かんばつ)で凶作が続いていた。この年、ついに大量の流民が故郷を捨て、食べ物を求めて南京へ流れ込んだ。そのため南京ではあちこちの軒下で雨露をしのぐ乞食の姿が見られた。
 一軒の本屋の軒下にも乞食が住み着いた。これが古びているとはいえ紬の衣に絹の頭巾をつけており、どう見ても読書人にしか見えない。体を損ねているようで日がな一日寝ていた。傍らには年若い妻が付き添っているのだが、非常に美貌な上にその両の耳には銀の耳飾りを付けていた。起き上がることもできない男に代わって、女の方が道行く人に扇を差し伸べては銭を乞うた。
 そのあまりにも乞食らしからぬ様子に興味を引かれた一人が、女にどこから来たのか問うてみたところ、
「私は山東の旧家の生まれです。嫁いでわずか五日で、主人とともにこちらに流れてまいりました。主人も役人の家柄の生まれで学生でした。主人が飢えと寒さで病にかかり、動くこともできないので、こうしているのでございます」
 とのこと。
「お前さんは若くてそんなにきれいなんだから、他の人と一緒になればいいじゃないか。少なくとも数十金にはなる。そうすればご主人に薬を買ってやれる。二人とも命を永らえるだろうに」
 すると女は毅然とした態度でこう答えた。
「操を汚すくらいなら死んだ方がましです。ましてや主人の病はかなり重く今さら薬を与えたところで治るとも限りません。主人にもしものことがあれば、私も生きているつもりはありません。飢え凍えても、廉恥の心は忘れておりませんわ」
「ならその銀の耳飾りを売ったらどうかね」
「これは主人の家から贈られた結納の品です。売るなどとんでもない」
 このやり取りを聞いていた者は女にいたく同情し、争って銭を恵んだので、あっという間に数金もの銭が集まった。
 女はこの銭で柩(ひつぎ)を買うと、近くの寺へ運び込んだ。残った金で粥を買い、夫に食べさせるのだが、夫が粥を一口啜れば自分も一口啜り、夫が一口も口にしなければ自分も食べなかった。夫の体はすでに粥を受け付けなくなっていた。十日が過ぎ、とうとう亡くなった。女は扇を広げると道行く人に涙ながらに銭を乞い、そうして集めた銭で人夫を雇って柩を埋葬した。自らも着物に土を包んで運んだ。その途中、女は力尽きて倒れた。
 助け起こした時にはすでにこと切れていた。
 女の節義を哀れんだ人々は金を出しあって新たに柩を買い、夫と同じ塚に埋葬してやった。

 女の耳には銀の耳飾りが付けられたままであった。

(清『明季北略』)