雲英(一)


 

 の長慶(821〜824)年間のことである。裴航(はいこう)という秀才がいた。
 試験に落第したので鄂渚(がくしょ、注:現在の湖北省)へ旅に出て、旧友の崔相国を訪ねてみた。航の境遇に同情した相国は二十万貫の銭を贈り、都へ帰るよう忠告した。そこで航は巨船に乗り込み、水路伝いに戻ることにした。乗り合わせた船客の中に樊夫人という女性がいた。これが大層な美女で、航は一目で魅せられてしまった。同乗のよしみで挨拶を交わし、打ち解けて話をしたのだが、何といっても帳越しで何とももどかしい限りであった。そこで侍女の嫋煙(じょうえん)に賂(まいない)をして、夫人に詩を一首贈った。

   呉越でさえ同舟すれば旅には情けを抱くという
   仙女に遇いながら錦の屏風に隔てられるとは
   天帝の宮居へ拝謁に上り給うならば
   鸞鶴(らんかく)について俗世を離れんものを

 さて、詩に思いを託して贈ったのはいいが、いつまでたっても返事が来ない。航が嫋煙に催促すると、
「奥様は詩をご覧になっても知らんぷりをなさっておいでですわ。どうしようもないじゃありませんか」
 とのことであった。
 そこで今度は道中で買い求めた銘酒や珍味佳肴を贈った。すると夫人は航のもとに嫋煙を寄越して、会いたいから来てくれと言ってきた。航は天にも昇る心地でめかし込み、夫人のもとを訪れた。帳を掲げて中に入って見ると、夫人が端座して待っていた。その面はさえざえとした光をたたえた玉か、艶やかに咲き誇る花のよう、雲なす黒髪は豊かに結い上げられ、淡く刷いた眉はほのかな月影を思わせ、神仙のごとき物腰である。帳越しに見る以上の美貌に、航はただ、ただ、目を見張るばかりであった。
 先に口を開いたのは夫人の方であった。
「実は私には漢陽(注:湖北省)に夫がおります。つい先だって、主人が使いを寄越し、官職を捨てて山にこもるので最後に一目会いたい、と私を呼び寄せたのでございます。この知らせは私を十分に悲しませるものでした。長年連れ添った主人ですから。今は主人の出立に間に合うことばかりが案じられ、他の方のことなど顧みる暇はございません。おわかりになって下さいますわね。私もあなたのように風雅な方とご同船できたことはとても嬉しく思っております。ただ、おたわむれはおよしになって下さいますよう」
 航は口ではとんでもないと答えたが、内心は機会をうかがっていた。しかし、夫人の操の固さはまるで氷のようで、杯を重ねてもいささかも隙を見せなかった。
 後で嫋煙が夫人の詩を一首、航のもとに届けてきた。

   ひとたび玉漿(ぎょくしょう)を飲めば、諸々の思い生ず
   玄霜の薬搗(つ)き終え、雲英あらわる
   藍橋(らんきょう)こそすなわち神仙窟なり
   道険しくも、玉清宮へ入るには及ばず

 航は夫人の詩ということでありがたくおしいただいたものの、その意味はさっぱりわからなかった。

 その後、航は夫人と会うことを切に願ったが、夫人の方で会おうとしなかった。ただ、嫋煙を通じて朝晩の挨拶の言葉を寄越すだけであった。船が襄陽(じょうよう、注:湖北省)に着くと夫人は嫋煙に荷物をまとめさせ、誰にも何も告げずに下船してしまった。夫人の上陸を知った航は、襄陽の町中を捜し回ったが、その行方は杳(よう)として知れなかった。こうなっては航も諦めざるをえず、夫人のいない船に残っている気にもなれなかったので、荷物をまとめて下船すると陸路都への帰途に着くことにした。

 途中、藍橋(注:陜西省藍田県)の宿場近くにさしかかった時、航は喉の渇きを覚えた。そこで、どこか民家で水を一杯飲ませてもらおうと思って、街道を離れてしばらく行くと、小さなあばら家が一軒目に入った。低い屋根の狭苦しい家の中で、一人の老婆が麻を紡いでいる。航が腰を低くして水を一杯飲ませてほしいと頼むと、老婆は奥に向かって声をかけた。
「雲英や、水を一杯持っておいで。お客様がご所望だよ」
 航は夫人の詩に「雲英」という言葉があったことを思い出した。

 

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