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真面目な番頭さん(八)


 

 勝は女を向かいの家に預けると、母親に話しにいった。
「おや、お帰り。随分、遅かったね。二哥は?一緒だったんだろうね」
「それが、実は…」
 と張勝は張員外の店が閉門になったことや、妾に出くわしたことを逐一話して聞かせた。話を聞いた母親は張員外の家の不幸にいたく同情して、
「お気の毒なことよのう。で、奥様はどちらにいらっしゃるのかえ?」
「向かいの家で待ってます」
「すぐ、お呼びするのじゃ」
 と母親が言うので、女を家に呼び入れた。女は事の成り行きを説明して、
「私、都には知り人がおりません。お母様、どうぞ、哀れと思し召して私をお宅に置いて下さいませ」
 と涙を流して懇願した。母親は、
「しばらくはうちにいらして下され。ただ、うちは手狭での、行き届かない点も多いと思いますのでな、頃合いを見て親戚のお宅にでも行きなされるがよかろうて」
 と慰めた。女は懐から例の百八粒の舶来真珠の数珠を取り出すと、張勝の母親に手渡して言った。
「先でこれをばらして売って糸屋を開業なさればよろしいですわ」
 張勝は、
「高価な物ですから、安く見積もってもかなりの額になるはずです。それに、以前頂いた五十両もございますので、仕入れにはこと欠きませんね」
 と答えた。
 と言うことで、張勝はめでたく糸屋を開業する運びとなった。張員外の商売を引き継ぐような形になったので、人は彼のことを「張の若旦那」と呼んだ。女はしばしば張勝に触れなば落ちん風情を見せて誘惑するのだが、如何せん張勝は心正しき男、ひたすら、母親に孝養を尽くし、いささかも心を動かされる様子を見せなかったので、さすがの女も取りつく島がなかった。

 そうこうする内、清明節(注:旧暦の三月。墓参りや野遊びに出かける)が巡ってきた。清明節には皇室の御苑の金明池が一般に解放されるので、街中の人が見物に繰り出すのが風習であった。張勝も見物に出かけた。その帰り道に萬勝門を通りかかった時、後ろから、
「番頭の張ではないか」
 と声を掛ける者がある。張勝が、
(今ではもう皆、私のことを若旦那と呼ぶのに、番頭なんて呼ぶのは誰だろう?)
 と思いながら振り向くと、何と昔の主人の張員外が立っているではないか。しかも、その顔には犯罪者の印の刺青が入れられており、髪はぼうぼう、顔も垢まみれで着物もボロボロになっていた。張勝は近くの居酒屋に張員外を招き入れると、奥まった静かな座敷を借り切った。
「旦那様、どうしてこのような目に?」
「実はのう…」
 と張員外はこれまでの経緯を説明しはじめた。

 

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