毒舌


 

 永斎は乾隆三十四年(1769)の状元(注:科挙のトップ合格者)である。その彼が休暇で南方へ帰省す途中、とある小さな村落を通りかかった。緑樹が翳を作り、野生の海棠が花びらを散らせている。陳は何となく心がはずんできて下駄をつっかけ、一人で散策に出かけた。
 あちらへフラリ、こちらへフラリ、どの位歩いただろう、気が付くと村外れに来ていた。見ると低い籬(まがき)がある。その左手に門があり、娘が一人、寄り掛かって風の中を漂う柳の綿毛を手ですくっては丸めて遊んでいた。鄙(ひな)には稀なる美形である。陳の心によからぬ考えが浮かんだ。そこで、近付いて馴れ馴れしく声を掛けた。娘はそんな陳の態度に別段怒りもせず、ただ中に向って、
「お母ちゃん、来てや」
 と呼びかけた。
 しばらくして、背中の曲った老婆が出て来て、
「どしたんね?」
 と娘に尋ねた。娘が、
「どこのもんか知らんけど、しつこいんよ、この人」
 と答えるので、陳は困惑して、
「喉が渇いていたので…」
 などと言い訳した。老婆の方は、
「うちは狭いけん、お通しするのは無理じゃわ。小慧(しょうえい)、お客さんに水を持って来てあげんさい」
 と娘に言い付けた。娘が水を取りに行っている間に、陳は老婆から娘のことを詳しく聞き出そうと二、三質問をした。
「お嬢さんはお幾つになられますか?」
「寅年じゃけど、幾つになるんじゃろ?」
「ご結婚は?」
「この婆にはあの娘一人しかおらんけん、嫁にやるつもりはないんじゃわ」
「と言って、いつまでも手元に置いておくわけにはいきませんでしょう」
 そう言っている内に娘が水を持って出て来た。陳の言葉を聞きとがめて、
「お母ちゃん、この人、ロクなこと考えとらんけん、相手にしんさんなよ」
 と言うのを、老婆は、
「聞く聞かんはワシの勝手じゃわ。あんたはうるさい」
 と笑って取り合わない。陳は老婆の方が組みし易しと見て、
「実は私、自慢ではありませんが、己丑の年(1769)の状元登第でございます」
 と自分を売り込みにかかった。状元と聞いて心の動かぬ輩がいるか、そんな自負があった。しかし、老婆はしばらく考え込んだ挙げ句、
「あのぅ、チョーゲンって何じゃろ?」
 などときいてくる。思いも寄らぬ反応に陳はガックリきたが、そこは我慢して続けた。
「チョーゲンではありません、じょ、う、げ、ん、状元です。苦心して学問を積み、天子さまの試験に合格した者のことです。将来は宮城で天子さまの詔を掌るんです。このような文才を以て栄達する天下第一等の人物のことを状元と言うのです」
「そんなお偉い人は何年に一人出るのじゃろうか?」
「三年に一度です」
 驚くなよ婆さん、と陳は胸を張って答えた。それを聞いていた娘が横から、
「状元ってのは千古第一の秀才で三年に一人っきりしか出ないんじゃろ?そんなお方がようもこうベラベラと喋くるなんて、変ちきりんじゃわ」
 と言うのを老婆が、
「このあまっこはお喋りが過ぎるよ。人の揚げ足ばかり取りんさんな」
 とたしなめると、
「ふん、馬鹿が恥をさらしとるわ」
 と鼻で笑って中へひっ込んでしまった。陳はこんな扱いを受けたのは始めてなので、気が挫けかけた。しかし、まだ婆さんが残ってる、と気を取り直して愛想笑いをしながら老婆に話しかけた。
「もし、お厭いでなければ、わずかですがお近付きの印としてお納め下さい」
 と言いながら、嚢(のう)中から金塊を取り出した。老婆は金塊を受け取るとしばらく撫でさすっていたが、ややあって、
「これはなんですかのう?臭いもせんし、氷のように冷たいし…」
「これは金ですよ。テンプラじゃありません。これさえあれば着物もご馳走も買えます。まさしく、この世で最高のものです」
 陳の態度にはありがたく受け取れ、という相手を見下した態度が見え見えであった。老婆はなおも金塊を撫でながら、
「じゃけんど、うちには桑が百株と田んぼが半頃ありますけんのう。飢え死にすることはないんじゃわ。せっかくもろうてもここでは役に立たんけんのう、状元さんに返しときますわ」
 と言って、陳の目の前で金塊をポイッと地面に投げ捨てた。
「あっ…」
 驚く陳に向って老婆は、
「この阿呆が、風雅のかけらもないとはお前さんのことじゃわ。金の力で人をなびかせようとはのう」
 と厳しい言葉を投げつけると、バタンと門を閉めてしまった。
 陳はしばらくの間、呆然とその場に佇んでいたが、やがて大きな溜め息を一つ残して立ち去った。

(清『諧鐸』)