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白娘子の物語(二)



南極老人


 だ人気のないある朝、断橋付近の湖面に白い靄が湧き起こった。靄の中から白衣(びゃくえ)に身を包んだ美しい娘が姿を現した。
 湖水を踏んだその姿はまるで咲き誇る白い蓮の花のよう。湖水を岸辺へ向って踏み渡り、ひらりと岸に降り立った。水面に己の姿を映して鬢(びん)を撫でつけると、満足そうに微笑んだ。これこそ、呂洞賓の団子のおかげで修行を成し遂げた白蛇の化身であった。
「そうね…白娘子(はくじょうし)、私の名前は白娘子がいいわ。これからは白娘子を名乗りましょう」
 身を翻すと何処(いずこ)へか姿を消した。

 この日、天上では西王母の誕生日を祝って蟠桃(ばんとう)の宴が催され、神仙達が祝いに集まっていた。あまりにも大勢の神仙が集まったので、さしも広大な凌霄殿(りょうしょうでん)すら狭く感じられた。
 白娘子もその祝いの席に来ていた。ぐるりと見回しても見知った顔はない。それも当然である。五百年の修行を経たとはいえ。白娘子は神仙としてはまだ新参者にすぎなかった。彼女は分をわきまえて末席に慎ましく列なった。
 しばらくすると艶やかな装いの仙女達が瑞々しい桃を捧げて入って来た。それを合図に、列席者は寿酒を酌み交わし、寿桃を食べ始めた。西王母は末席にいる白娘子に目を留めた。何度も思い出そうとするのであるが、どうも見知らぬ顔である。そこで傍らで桃をかじっていた南極老人に訊ねた。
「ご老体、あそこに大層きれいな娘御が坐っているけど、誰だかご存知でしょうか?」
 問われた南極老人は白髭をしごくと呵呵大笑(かかたいしょう)した。物を言う時に笑うのは、人の寿命を掌るこの老人の癖である。
「呂殿、このことはお前さんが説明するのが妥当じゃろうて」
 そう振られた呂洞賓は何が何だか訳が分からずポカンとしていると、南極老人はますます大笑いである。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ…無理もないかの。その場に居合わせながらもお前さんは部外者であったからのう」
 そこで呂洞賓の代わりに団子の一件を説明し出した。それを聞いた呂洞賓も神仙達も大喝采である。ただ、白娘子だけは南極老人の話にしんみりと耳を傾け、自分の来し方を思い返していた。
(あの湖底の冷たい泥濘のなかで私はどれほど人界に憧れてきたことだろう。五百年、五百年前だ、一度だけ水面に顔を出した時に見たあの美しく暖かな人界、目に焼き付いて離れなかった。憧れた、私も仲間に入りたかった。でも、私は蛇の身、人間に忌み嫌われる蛇の身、出て行った所で打ち殺されるのがオチ。血の滲む修行に耐えられたのも、ひとえに人界で暮らしたいがため。それが幸いにも一粒の仙薬のお蔭でこうして人の姿をとることができるようになった。早く人界に行きたい、人界に行って…)
「…定めしあの坊主に仕えるのが筋だろうて」
 突然、南極老人の声が耳に飛び込んだ。白娘子はハッとした。
(そうだ、あの男の子はどうしているのだろう、本来あの子の受けるべき福運がたまたま私の所に転がり込んできただけ)
 宴が終わり南天門へ向う白娘子の前を南極老人がゆったりと歩を進めていた。白娘子はその袖を捉えて言った。
「老仙人様、老仙人様、一つだけ教えて下さいませ。あの団子を落とした男の子はどこにいるのでしょうか、どうしても一目会いたいのです」
 南極老人は白娘子の必死な様子を見ると大笑して言った。
「何事にも時期というものがある。十八年待たれよ。十八年後の清明節(注:陰暦の三月。郊外に遊びに出たり、墓参りに行く)に西湖へ行くがよい。そこでそなたは丈が最も高く最も低い者に出会うであろう。それがその坊主じゃ」
 南極老人は語り終えると雲を踏んで立ち去った。

 

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