壁龍


 

 の柴紹(さいしょう)の弟の某は武勇に優れていた。非常に身のこなしが敏捷で、十数歩(注:一歩は約1.5メートル)もの高さまで飛び上がることができた。
 これに興味を覚えた太宗は、皇后の兄、長孫無忌(ちょうそんむき)の鞍一揃いを盗み出すよう命じた。無忌にはあらかじめその旨を伝えておき、厳重に邸を警備させた。
 その夜、鳥のようなものが無忌の邸に飛び込んだかと思うと、鐙(あぶみ)を引きちぎってそのまま飛び去った。警備の者が慌ててその後を追ったが、追いつけなかった。
 また、太宗の妹丹陽公主の金を散りばめた箱枕を盗ませたこともあった。公主は毎晩、この枕で眠るためほとんど不可能と思われた。
 深夜、某は公主の寝室に忍び込むと、眠っている公主の頬をつねった。公主がハッと目覚めて頭を上げた隙に他の枕とすり替えてしまった。明るくなるまで公主は枕をすり替えられたことに気がつかなかった。
 某は革靴を履いたまま城壁を姫垣(ひめがき)まで登ったことがあった。城壁は垂直で、つかまるところなどどこにもなかった。また、仏殿の柱を駆け上ったこともある。庇の端までよじ登ると、椽(たるき)の覆いにつかまって登り続けた。高さ百尺あまりもある楼閣であろうとも、某には平地も同様であった。
 太宗はいたく不思議がり、
「このような者を都に置いておくわけにはまいらぬな」
 と言って長安から遠い地の官とした。某の噂は世間に広まり、人々は彼を「壁龍」と呼んだ。

 太宗は無忌に七宝の帯を下賜したことがあったが、値千金という高価な代物であった。大盗賊の段師子という者が屋根伝いに椽の孔から侵入した。段師子は背後から無忌に刀を突きつけて言った。
「閣下、動けば命はありませぬ」
 そして、箱から帯を取り出すと、刀を地面に突き立てて跳躍した。入ってきた時と同様、椽の孔から出ていった。

(唐『朝野僉載』)