長寿村


 

 南(れいなん、注:現在の広東・広西地方)は辺鄙(へんぴ)な土地柄で風俗も田舎じみている。中でも博白(はくはく、注:現在の広西壮族自治区東部)の田舎ぶりはすさまじいものであるが、その分、風俗には純朴さと古風なところが多く残っている。また、非常に長寿な土地としても知られていた。八十歳、九十歳でも決して長寿の部類には入らない。ここでは当たり前なのである。
 そもそも人の寿命というものは、欲求や心配事などが原因で損なわれるものである。ここにはそういう煩(わずら)いがないのだから、人の寿命が長くなるのも道理であった。

 博白城下から百歩ほど離れたところに新村というところがある。そこを朝晩、散歩するのを日課としていた。
 ある日のこと、いつものように出かけていくと、一軒の民家にちょっとした人だかりができていた。大人や子供など十数人が二人の老人を囲んでグルリと輪を作っている。坐っているのは二人の老人だけで、酒を飲んでいた。二人は兄弟なのだそうである。九十四歳になるという兄は弟を指さして言った。
「これはワシの末の弟ですだ」
 弟の年齢をたずねてみると、
「まだ七十八歳ですだ」
 とのこと。その周りに集まっているのはすべて二人の老人の曾孫であった。それはあたかも一幅の画にも見えた。

 また、近隣の村の老婆達が集まっているところへ出くわしたことがある。老婆達は何やら顔に不満げな表情を浮かべながら、しきりに、
「はぁ、惜しかねぇ」
 と言ってはため息をついていた。
「一体、どうしたのですか?」
 不思議に思ってたずねてみた。
「南隣のじ様がゆんべ亡くなっただ。ありゃあ、何とも早すぎたで」
「お幾つだったのでしょう」
「九十九だ」
 この答えには思わず、笑ってしまった。
「九十九歳なら十分長生きじゃありませんか。何が不満なのです?」
 すると老婆達は顔色を変えて詰め寄ってきた。
「これが惜しくねぇかえ?あと一年でやっと百歳だでよ。ああ、お天道様はどうして、じ様を早死にさせただか」

(宋『鉄囲山叢談』)