精彩
貞元末年(805)のことである。開州(注:現四川省)の軍将冉従長(ぜんじゅうちょう)は財を軽んじ、士とつき合うのを好んだため、多くの儒生や道士が声望を慕ってその食客となっていた。
食客の一人に寧采(ねいさい)という画家がおり、『竹林会(注:竹林の七賢)』の画を描いて冉従長に進呈した。実に見事な出来栄えで、冉従長は食客を集めて披露した。
同じく食客に郭萱(かくせん)と柳城という二人の秀才がおり、何かにつけて対抗意識を燃やして張り合っていた。
柳城は絵を見るや、冉従長にこう言った。
「この画の構図は巧みなものですが、心までは描き切れておりませぬ。是非、閣下に我が技をお見せいたしたく存じます。一切筆を加えず、精彩を与えることをお約束いたしますが、いかがでしょう」
冉従長は目を丸くした。
「何と、秀才殿にそのような技がおありとは!しかし、筆を加えずして、どのようになさるので?」
柳城はニッコリ笑ってこう答えた。
「画の中に入るのですよ」
その時、傍らで聞いていた郭萱が掌を打って話を遮った。
「フン、そんな子供だましを」
すると、柳城は相手をキッとにらみつけて言った。
「何!子供だましだと?賭けてもよいぞ」
郭萱も引き下がらない。
「ほう、賭けとな。じゃあ、ワシは銭五千でできない方に賭けるぞ」
「ワシもできない方だ」
そう言ったのは冉従長であった。
一同の見守る中、柳城は画に向って身を躍らせた。その途端、彼の姿はかき消すように見えなくなった。画は壁にかかったままで、周囲を見回しても隠れるような場所などない。不思議がっていると、どこからか柳城の声が聞こえた。
「郭殿、これでも信じていただけませぬか」
突然声をかけられて郭萱、飛び上がって驚いた。皆でキョロキョロ見回したのだが、柳城の姿は影も形も見えない。
「ここだ、ここだ」
耳をそばだててみれば、声は画の中から聞こえてくるようであった。
しばらくして、柳城が画から飛び出してきた。柳城は画の中の阮籍を指さして言った。
「阮籍だけ、直しておきました」
皆、じっと見入ったのだが、確かに元の姿とは異なり、その唇は今にも嘯(うそぶ)きそうに突き出されていた。寧采も己の描いたものよりも優れている、と認めた。冉従長と郭萱はいさぎよく負けを認め、柳城に非礼を詫(わ)びた。
その数日後、柳城は開州から姿を消した。(唐『酉陽雑俎』)