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おまる殿下


 

 の燕王趙元儼(ちょうげんげん)は太宗の第八子である。太宗の皇子達は夭逝(ようせい)した者が多く、孫の仁宗の代まで生き残っていたのはこの燕王だけであった。燕王は仁宗のただ一人の皇叔ということで、とりわけ尊崇を払われていた。その名は外夷にまで知れ渡り、契丹でさえも畏れ憚った。
 燕王の病篤くなった時、仁宗はその邸を見舞い、手ずから薬を調合した。燕王は日頃、国政には口を挟まなかった。遺言を一言二言残したが、それは人道を切々と訴えたものであった。

 燕王の娘婿である劉従広から聞いたところによると、燕王は大のおまる好きであった。一旦坐ったが最後、いつまで経っても下りない。空腹になればおまるに坐ったまま食事をする。時には興に乗ると、おまるの前で音楽を奏でさせたりして、終日飲み続けて飽きなかったという。

(宋『帰田録』)