祐(げんゆう)年間(1086〜1094)末のことである。巴郡(注:現在の四川省)郡守の馬餘慶(ばよけい)は飛脚の王信に書を都まで届けさせることにした。
 王信が郡城から数十里ほど行ったところ、路傍で酒を飲む二人の道士を姿を見かけた。桃を肴にしているのだが、その大きなこと今までに見たことがない。興味をひかれた王信はその側で一休みすることにした。
 それとなく桃を分けてほしいと言ってみたところ、道士は食べかけの桃を分けてくれた。王信は桃を受け取るとあっという間に食べてしまった。すると、道士は懐から盃ほども大きさのある桃を取り出して王信にくれた。王信は大喜びで跪いて道士達に礼を述べ、もらった桃を着物の裾にくるんでその場を離れた。
 数里も行かないうちに、王信はさっきの桃を食べようと取り出して驚いた。何とそれは血の滴(したた)る人間の生首だった。仰天した王信はそれを谷川に投げ捨てると、もと来た道を引き返して駆け出した。そのまま郡城までまっしぐらに駆け戻ったのだが、その様子はすっかり狂人のようであった。
 人の姿にひどくおびえ、
「怖いよう、怖いよう」
 と頭を抱えて泣き叫ぶばかり。おまけに飲み食いもしなくなってしまった。
 話を聞いた郡守が召し出して事情を問いただると、ようやく落ち着いてポツリポツリと語り出した。しかし、話が道士と出会ったところに及ぶと、またもや狂ったようになってしまうのであった。
 結局、肝心なことを聞き出せないまま、病気を理由にお役御免にすることにした。

 時折、蜀で王信の姿を見かける者がいたという。

(宋『春渚紀聞』)