る御史が巡察のため某県に滞在した。差し押さえた家屋を封印する時には、御史自ら赴くのが常であった。
 その日も御史は一軒の家屋を差し押さえに行った。作業を終えて何気なく向かい側の楼閣を見上げると、こちらを見下ろす一人の少女と目が合った。ほどなくして少女は病の床に就く身となり、数ヵ月後、世を去った。御史は少女の病とそれに続く死を知らなかった。
 ある晩、御史のもとを一人の少女が訪れた。少女は情を交わすと、夜明け前に帰っていった。少女は毎晩のように現れたのだが、何者でどこから来るのかまったくわからなかった。
 数ヶ月が過ぎるうちに御史は次第に体が衰えていき、とうとう重い病にかかってしまった。医者や薬を求めても回復する兆しは見られなかった。医者は原因不明の病に首をかしげるばかりであった。御史は誰にも少女のことを話さなかったのである。
 司訓(注:県の学校の教官)で医術に詳しい者がいた。それが御史の脈を診てこう言った。
「閣下のご病気は寒暑によるものではございませぬ。これは邪(よこしま)な陰気に侵されたためでしょう」
 ここまで言い当てられては御史も隠しておくことができず、すべてを打ち明けた。すると、司訓は、
「次に現れた時、身に付けた物をお取りなさい。それをもとに身元を捜しましょう」
 とすすめた。
 夜になって少女が訪れると、御史は隙を見てその鞋の片方を隠した。少女は気づかず、いつも通り夜明け前に帰って行った。
 司訓は鞋の持ち主を方々、探し回った。一人の老婆がその鞋を見るなり涙を落とした。
「これは亡くなった娘の鞋です。どうして手に入れなさったのですか?」
 司訓が老婆の許可を得て棺を開けてみたところ、少女の遺体には鞋が片方なかった。御史は報告を受けると、少女の手厚い葬いと追善供養を司訓に託した。以来、少女は二度と御史の前に姿を現さなくなった。この一件で御史は司訓に深く恩を感じた。
 後に司訓が教諭に昇進する際には先の御史とともに選考にあたり、便宜を計らった。またこの司訓が受験した時も、推薦して合格の道を開いてやっ た。これがもとで御史は罷免(ひめん)された。

(明『説圃識餘』)