Make your own free website on Tripod.com

 

義人


 

 武年間(1368〜1398)のことである。
 北京に美しい妻を持つ校尉がいた。妻は花のように艶やかであったが、己の美貌を恃(たの)んで現在の平凡な結婚生活に不満を抱いていた。
 妻は夫を職場へ送り出すと、化粧を凝らして門口に立つのが日課となっていた。惜しげなく自分の姿をさらしては道行く人の気を引くのである。やがて一人の少年と目と目で物を言い合うようになった。
 少年は日が暮れるのを待って、妻の手引きで校尉の家に入り、寝台の下に身を潜めた。
 五更(注:午前四時)、妻は夫である校尉を促して出勤させた。校尉は家を出て二、三歩行ってから、何か思い出した様子で戻って来た。校尉は寝台に横たわる妻に衣を一枚重ねてやると、すきま風が入らないようしっかりおさえてから再び出て行った。まだ肌寒い季節であったので、妻が風邪をひくのではないかと心配したのである。寝台の下で少年はこの様子をすべて見ていた。
 少年は妻の合図で出てくると、戯れながらこうたずねた。
「君の旦那は君をずいぶん大事にしてるみたいだけど、いつもそうなの?」
 妻によると、夫の情愛は非常に深い、とのことであった。明るくなってから、少年はまた夜になったら来る、と約束して帰って行った。
 夜になって少年は約束通りやって来たが、その懐には鋭利な刀を隠し持っていた。少年は妻と一度、歓びを共にした後、その喉を断ち切ってから姿を消した。

 校尉は妻が殺されたことを知ると、日頃から恨みを抱いていそうな何人かを名指しで訴えた。その内の一人が厳しい追及を受けて耐えかね、ありもしない罪を自白した。
 少年はこのことを知ると自責の念に駆られて、自首して出た。
「殺したのは私です。あれだけ愛されながら、平気で夫を裏切ったあの女が許せなかったのです」
 少年の行いを奇とした当局は、早速上奏して裁決を仰ぐことにした。
 帝の裁決はこうであった。
「不義を殺したのだから、これこそ義人なり」
 少年は赦免(しゃめん)された。

(明『菽園雑記』)