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大爆発


 

 宋の趙葵(ちょうき)は江蘇の私宅に檻を作り、虎を四頭、飼っていた。檻は火薬庫の隣にあった。
 ある日、火薬に火を入れていた時、火薬庫に引火して大爆発が起きた。爆音は雷鳴のように轟(とどろ)き、地が揺れ、家屋が傾いた。そばにいた四頭の虎は檻ごと吹き飛ばされてしまった。
 当時、この話は驚きをもって伝えられた。

 至元十七年(1280)、維揚(いよう、注:現揚州)で起こった弾薬庫の爆発事故はもっと悲惨なものであった。
 初めの頃、火薬の製造はすべて南人が行っていたが、南人は信用がならぬというわけで、後に北人にかえた。しかし、北人は火薬の扱いに慣れておらず、またその知識にも乏しかった。
 硫黄(いおう)を砕く作業を行っている時、引火した。火はまたたく間に燃え広がったが、北人はわけもわからず眺めて笑うだけであった。
 しばらくして、火は武器庫に燃え移り、そこに置いてあった多くの大砲に引火した。大砲が次々に暴発し、山が崩れ、海の鳴るようなすさまじい轟音(ごうおん)が響き渡った。街中大騒ぎとなり、敵の来襲か、と浮き足立った。
 遠く百里(注:一里は約550メートル)離れた地点でも屋根瓦が揺れた。火の勢いは止めることもできず、至る所で爆発が起きた。諸軍は戒厳令 下に待機するのだが、なすすべもなく一昼夜を過ごした。火薬が尽きて、ようやく爆発はおさまった。
 後になって調べると、弾薬庫にいた守備兵百人あまりが完全に吹き飛ばされ、死体すら見つからなかった。
 爆風は十余里の先にまで及んでいた。平地は一丈余り(注:一丈は約3メートル)も陥没し、民家二百戸あまりが倒壊した。

 

(宋『癸辛雑識』)