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妬婦津


 

 地方(注:山東省)の臨清(りんせい)県に妬婦津(とふしん)という渡し場がある。

 言い伝えによれば、晋の泰始年間(265〜274)、この付近に劉伯玉(りゅうはくぎょく)という人が住んでいた。妻の段氏は非常に嫉妬深かった。
 伯玉は曹植の『洛神の賦』を愛し、いつも段氏の前で暗誦(あんしょう)していた。
「こういう女性を妻に迎えられたら、何も言うことはないね」
 伯玉がそう言うと、段氏は皮肉たっぷりな口ぶりで答えた。
「洛水の女神をお褒めになられるのは、よほど私のことがお気に召さないからでしょう。私、いっそのこと死んで水神にでもなりとうございますわ」
 そして、その晩、本当に河に身を投げてしまった。
 それから七日後、伯玉の夢枕に段氏が立った。
「あなたは水神と一緒になりたいとおっしゃっておられましたわね。ほら、私、今では水神になりましたのよ」
 伯玉はこの夢を見てからというもの、死ぬまで河に近づかなかった。

 以来、婦人たちは段氏が身を投げた河を渡る時には、必ず着物を破り、化粧を崩した。そうしなければ水神が嫉妬して、風や波を起こして河が荒れると言われた。
 醜女(しこめ)の場合は着飾っていようと、化粧をしていようと、水神が嫉妬しないので無事に渡ることができた。ただ、醜女は醜女で「水神に嫉妬もされない女」という評判が立つのを恐れて、わざわざ着物を破って化粧を崩すという無駄なことをした。

   斉の人はこう言う。
「きれいな女が欲しければ、妬婦津の渡し場に立つがいい。女が岸辺に立ちさえすれば、美人かどうだかすぐわかる」

(唐『酉陽雑俎』)