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鵞鳥


 

 の太元年間(376〜396)のことである。
 章安郡(注:現浙江省)の史恢(しかい)の家で一羽の鵞鳥を飼っていた。鵞鳥は元気なオスでよく鳴いた。史恢には娘がおり、鵞鳥にエサをやるのはこの娘の役目であった。鵞鳥も娘によくなつき、その手からでなければエサを食べなくなっていた。
 史恢が友人の荀僉(じゅんせん)にこの鵞鳥を贈った。すると、鵞鳥はまったくエサを食べなくなってしまった。荀僉は何とかして食べさせようと 努力するのだが、鵞鳥は首を垂れたままエサに見向きもしない。よく見れば、目には涙すら浮かべている。荀僉は鵞鳥を史恢に返した。
 その数日後の朝早く、史恢の家では娘と鵞鳥が消えていることに気づき大騒ぎになった。隣近所に聞いて回ると、
「そういえば鵞鳥の鳴き声が響いてましたよ。西の方へ向かっていたようですが」
 と誰もが口をそろえて答えた。
 娘の行方を探して西へ向かったところ、河岸に出た。そこには娘の着物と鵞鳥の羽毛が残されていた。娘と鵞鳥は二度と人々の前に姿を現さなかっ た。

 後にこの河を「鵞渓(がけい)」と呼ぶようになった。

(唐『広古今五行記』)