放火


 

 る地方の太守に田登という人がいた。やたらともったいをつける性分で、他人が自分の名を口にするのを嫌がった。うっかり「登」などと口にすれば、カンカンに怒り出し、これがもとで大勢の吏卒が罰せられた。ついには「登」だけでなく同じ音の言葉まで使うのを禁じた。「燈」もその一例で、人々は「火」と言いかえるようになった。
 正月十五日の元宵節(げんしょうせつ)には、夜通し燈篭(とうろう)をつけて遊ぶのが慣わしである。これを「放燈」という。この時には役所 でも「放燈」を行い、市民は自由に観覧することを許される。

 吏卒が市内に張り出した告示にはこう書かれてあった。
「本州においては例年どおり三日間放火する」

(宋『老学庵筆記』)