瀚海の神


 

 州(へいしゅう、注:現山西省)の北七十里のところに古い塚がある。貞観(じょうがん)年間(627〜649)はじめ、不思議なことが起きた。日が暮れると鬼兵一万あまりが攻め寄せ、旗指物も鮮やかにこの塚を取り囲むのである。しばらくすると、塚の方からも鬼兵数千が出てきて応戦し、夜中になってようやく兵を退くのであた。この奇妙な戦闘は一月近くも続いた。

 ある夕暮れ、いつものように鬼兵一万あまりが北から現れ、塚から数里離れたところに布陣した。たまたま通りかかった農夫がこの光景に驚いて逃げ出そうとした。一鬼将がそれに気づき、十数人を遣わしてこの農夫を捕えさせた。鬼将はすくみ上がる農夫に向かってやさしく声をかけた。
「恐れることはない。私は瀚海(かんかい、注:バイカル湖)の神だ。配下の一小将が我が愛妾を盗んでこの塚へ逃げ込んだ。この塚の主は張公で、これが兵力を貸して連日、私と戦闘を繰り広げておる。瀚海を離れて一月余りにもなるが、いまだに謀反人を捕えることができず、私は憤懣(ふんまん)やるかたない。そこで君に頼みがある。あの塚へ行って張公に話してほしいのだ。私がここへ来たのは謀反人を捕えるためである。どうしてあやつらをかくまい、なおかつ、兵を貸して応戦するのか。すみやかに二人を引き渡してほしい。もし拒むなら、その時は汝の一党を殲滅(せんめつ)するまでだ」
 そして、百人に付き添わせて農夫を塚まで送らせた。農夫が塚の前で瀚海の神の言葉を伝えると、中から軍勢が飛び出してきた。馬に跨った二人の神人が、大将の旗を押し立てている。左右には剣や矛が林のよう並んでいた。大将とおぼしき神人が農夫を召し寄せると、瀚海の神への言伝を頼んだ。
「私は生きては鋭将として働くこと三十年、死して後、この地に葬られた。私に従う五千騎あまりはいずれも精鋭だ。今、汝の小将が我がもとに身を寄せ、これと誼(よしみ)を結び、誓いを立てた。かくなる上は、私としても援助せねばならぬ。もし、あくまでも私と争うのならば、こちらとて容赦(ようしゃ)はせぬ。汝を打ち負かし、瀚海へも戻れぬようにするぞ。汝が本職を保持したいのなら、すみやかに瀚海へ戻れ」
 瀚海の神は農夫からこの言葉を聞くなり、激怒し、全軍へ出撃を命じた。
「今晩中にこの塚を破ることができなければ、一同揃って塚の前で自刃して果てようぞ」
 塚の前で両軍入り乱れて死闘が繰り広げられた。瀚海の神の軍勢は三度敗れ、三度盛り返した。戦闘は初更(注:夜八時頃)まで続いたが、ついに塚側の軍勢は敗れ、小将は生け捕りにされた。塚の中から愛妾が引きずり出された。
 張公とその軍勢はすべて塚の前で斬り捨てられ、塚には火がかけられた。農夫には褒美(ほうび)として金の帯を与えた。

 翌日、農夫が塚の様子を見に行くと、まだ火がくすぶっており、その傍らには人骨が散乱していた。

(唐『瀟湘録』)